私たちは、耐久ゲームのプレイヤー
今日とあるオンライン講座のゲストとしてお話をさせていただいた。(お声がけいただけるのって本当に嬉しいよね…ありがとうございます)
いろんな話をしている中で「継続」について話題が出た。
続けるってめちゃくちゃ難しいし、しんどいし、諦めそうになる。話をしながら聴きながら、「めっちゃ分かるなあ」と想いを巡らせていたのだけど、MCを務める運営スタッフの方が「継続」について、「鉄棒にぶら下がっている状態」という表現をされていて、「たしかにそうだ!」と膝を打った。
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例えばブログやnote。
「いっせーのーで」と、何人かで一緒にスタートする。スタートしたばかりの頃は「頑張ろうね」「続けようね」「負けないぞ」と思って熱量が高い。
でも、次第に書くのが面倒くさくなる、ネタがなくなる、時間がなくなる。誰にも読んでもらえない、稼ぎもできない、意味がないと思ってしまう。そして手を止めてしまう。
半年後、1年後、3年後。「いっせーのーで」と一緒に始めて、続いている人はどれくらいいるんだろうか。
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スタートした瞬間、私たちは鉄棒に一斉にぶら下がる。最初は全然耐えられる。でもしばらくすると腕が痛い、しんどい、もう手を離して落ちてしまいたいと思ってしまう。
でも、ここで落ちたくない、負けたくない、何かチャンスがほしい。そんな気持ちが芽生えて歯を食いしばる。
鉄棒からいかに落ちないか、そもそもまだ周りはどれくらいぶら下がっているのだろうか。そんなことを考えて耐える。
ブログやnoteを継続するって、これと一緒だなあと思った。
私たちはいかに脱落しないかの、耐久レースのプレイヤーだ。
仕事だけじゃなく、日常生活の中で頑張ろうと思っている些細なことでも、実は鉄棒にぶら下がっている状態なんだと思う。
すぐに手を離して落ちるか、少しだけ耐えてぶら下がり続けるか。
継続という耐久レースに挑んでいる。
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果たして私はどうなんだろうと考えてみたけど、きっと仕事でも趣味でも、あらゆることに今もぶら下がっているなあ。
特にnoteに関しては、もう手は十分に痛いけれど、まだ落ちたくないなあと思っている。続けるって大変だ。
最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪