別れのとき

 家主がフィンランドに2年間留学するということで、周囲がバタついている。
 明日は「最後に飲み会したい」という人が企画した飲み会。今までうちの飲み会に来たことがない人たちが複数やって来る。いつになく年齢層が高めで、いつもの大学生の飲み会みたいな雰囲気にはそぐわない人たち。果たしてどんなふうになるのか、さっぱり予想がつかない。
 そこに普段の飲み会に来ていたメンツ数人も誘ってみたところ、みな「Nさんが来るなら行く」と家主以外の理由で参加を表明。たぶん、みんな思うところはあるけれど、まだ最後じゃないと余裕を持っている。
 そのうちのひとりと、今やりとりをしていた。
 いつも飲み会のメンツみんながいるところで、家主に対する感謝を表したい。みんながいなきゃ意味がない。っていうか、もう録画して送ればいいか。
 本当にそれでいいの?

 母が死んで、今年で26年。あれは24歳の10月だった。
 母は悪性リンパ腫の予後が一番よくないタイプで、3月末に入院後、たった半年で死んでしまった。検査してもなかなかはっきりした病名がつかなかったけれど、5月頃には「おそらくよくないタイプ」と告げられていた。医師たちは余命には触れなかったけれど、私は年内いっぱいかなと思っていた。
 6月、一時外泊ができるまでに回復。しかし、その後再び悪化の一途をたどっていった。9月、付き添いで泊まった翌朝のこと。それまで普通に会話していたのに、危篤状態に陥った。ほんの30分前まで、会話していたのだ。「今日はお天気やの」とか「今日は帰ったら洗濯して、明日また来るわ」とか。
 母のベッドの横に座り、私は雑誌を読んでいた。朝の様子を見に来た看護師さんが、急にナースコールを押す。なんと言ったかは覚えていない。でも、そこから大勢が走ってきて、一斉に母を取り囲み、何かを始めた。わからないままに、私は部屋から出され、廊下で立ち尽くした。

 母は一命をとりとめたものの、目覚めてからは首から下が一切動かなくなった。手も足も、指さえも動かない。意識はあるものの、夢うつつの状態。ときどきはっきりするときもあるのだが、そういうときは妄想に取り憑かれていて、支離滅裂なことを言う。
 だけど、本当にたまに、ごくごくたまに以前の母に戻る。
「迷惑かけてごめんの」
「ごはん食べてるか」
「困ったら父さんに連絡とるんやよ」
 付き添いで寝泊まりする私を心配し、別居後悪口雑言尽くしていた私の父を頼れと言う。
 当時、インフォームド・コンセントは一般的ではなく、告知はなされなかった。でも自分の意志で指すらも動かせない状況で、母は自分がまもなく死ぬことをわかっていたのだと思う。

 叔母と付き添いを交代した夜、母は死んだ。あれだけ付き添ったのに、私がいないときに死んだ。
 病院に到着したとき、医師は心臓マッサージをしていた。もう死んでるのに何してるんだろう。「もういいですよ」、そう声をかけると若い医師はほっとした表情になった。付き添いの叔母が、私が到着するまで保たせて欲しいと頼んだのだ。いくら心臓マッサージをしても、死んだ者は生き返らないのに。
 はて、まず何をすればいいんだろう。姉と父に連絡して、葬儀屋はどうやって手配すればいいんだろう。連れて帰るのはどうしたらいいんだろう。役所の手続きもしなきゃ。まず銀行からお金を引き出さなきゃ。
 事務処理的なことを考える私の前で、叔母は泣きながら母に話しかけていた。この人は何をしてるんだろう。もう死んでるのに。

 結局、私は一度も何かを伝えることはしないまま、母に火をつけた。ひとりで葬儀の手配をし、葬儀の内容を決め、火葬のスイッチを押した。ほとんど泣くことなく、仕事と同じように効率的に事務作業をこなす。その後も遺産相続やさまざまな手続きを行い、気づいたら数か月経っていた。
 そもそもうちは仲のいい家族ではなかったし、私のそれまでの人生は母への反発という方法で道を見出していた。だから生きていても死んでも、大して違いはない。はずだった。
 でも母の死から15年くらい、私は立ち直れなかった。きちんと別れができなかったからだと思う。いつだって母は私の可能性を信じてくれていて、それは私の自信となっていた。いつだって失敗する私を、母は守ってくれた。しょっちゅう道を踏み外してあっち側へ転落しそうになる私を引き戻してくれた。私がまだ生きているのは、多分に母のおかげだ。
 生きているうちに感謝したかったし、別れを悲しがりたかった。自分が伝えたかったというのと、母も言葉をかけてもらいたかったであろうというのと、二重の後悔。
 さらには悲しむことをしなかったので、今でもどこか病院に母が入院している気がする。「早く来て!」と叔母から電話が鳴るような錯覚に陥ることがある。

 今、私は好きな人に「好きだ」と言う。私にとって「好き」は最上の褒め言葉であり、真情の発露だから。受け取り手は困惑するかもしれないけれど、まあ「好き」と言われて悪い気持ちはしないだろう。
 私の場合、「好き」と伝えることで距離を縮めたいとは思っていない。ただ、言えるうちに言っておきたいだけ。思ったときに思ったことをそのまま伝えたいだけ。
 明日が来るとは限らない。また会えるなんて確証はない。身勝手ではあるけれど、伝えられるときに伝えておきたい。あなたはすごい、尊敬しています。あなたと出会えてよかった、話せてよかった。あなたの言葉は魔法のようです、救われました。ありがとう。
 伝えられるときに伝えておかなくては。特に別れを控えているときは、なおさら伝えなくては。

 家主が出立するそのときまで、私は機会があるごとに言うだろう。
「モリのことが好き」
「今の私があるのはモリのおかげだよ、ありがとう」
 もう二度と会うことはないかもしれないから、思っていることは伝えておきたい。そして、たくさん泣きたい。たくさん悲しみたい。あの部屋にモリはいないのだと、きちんと納得して見送りたい。
 また会えたらいいなぁと思いつつ。会える日は来るのかなぁと訝しみつつ。



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タナカアキ
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