ありたい自分と現実の姿
実は、私は自信家だ。たいそう自分には自信がある。
一方で、私の自己肯定感は爆低だ。恐ろしいほど自分に否定的。
「自分はできる」という自信はあるけれど、実際はなにもしていない。ありたい自分とのギャップに自己肯定感はゼロ。
ありたい自分は、ガンガンに仕事をしている。仕事の大小は問題じゃない。稼ぎの額でもない。ただ、無心で仕事をしている自分が好き。
それが私の理想する自分の姿。
料理は趣味。
先週まで15~20人のごはんを週5日、1か月間作っていたけれど。得意だと言い切れない。
私の特技は、仕事。
この場合、仕事はパソコンを使ったり、事務的なものを意味している(と書きながら気づいた)。
特技というのは、他の人より優れているということではなく、私の持っているスキルの中で秀でているもの。それが仕事であるということ。
料理で報酬をもらったのだから、料理も仕事の範疇に入る。はず。
だけど、調理そのものは特技とは言い難い。
メニュー、買いもの、調理の手順、時間管理という部分については、仕事した感がある。毎日違うメニュー、お肉とお野菜、腹いっぱいになる量、いかに安くするか、手順を組み立てていかに時間内で完成させるか、お手伝いの受講生になにを頼むと効率的か。
調理そのものより、調理に入る前に頭を使った。
そう、私の思う仕事は、頭を使うこと。
頭を働かせて、いかに効率的に作業するか。必要十分な情報を手に入れるか。パソコンへ向かったり、紙に書いたり。
そんな仕事が得意だし、好きだ。したいと思う。
どんな仕事でも頭を使う。今回の料理しかり。
たぶん料理を仕事に分類できなのは、味や見た目が自分の理想とするものに到達していないからだと思う。
遠くの理想はどこまで行っても遠くにあって、きっと追いつくことはないだろう。
足元、ちょこっと後ろを見ると、なにかしらできた自分がいる。その積み重ねで、近くにある理想に近づいたり、追い越したりできるんじゃないか。
まずは、一日の終わりに今日できたことを思い出す。
ごはんの後、食器をすぐに洗った。早起きしてゴミ捨てした。
お布団から出たくなかったけど図書館へ行って作業した。バイトを探した。
小さなことでもなにかをしたことを評価する。
よくやった、私。えらいぞ、私。がんばった、私。
そうやって、ちょっとずつなにかしらできた自分を、自分でほめる。
誰より認められたい自分自身から、自分を認める言葉をかけられ続ければ、きっと私の自己肯定感はゼロからイチへと上がるはず。たぶん。
かつ、休憩を終えて、仕事をしよう。大好きな、自分に自信を与えてくれる仕事をしよう。
まとまらなくなってきた文章をなんとかまとめた。がんばった、私。
明日もまた、私ならなにかできる。できるよ、私。
ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす