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タイ旅行2024⑧ | アユタヤ遺跡散策、恐怖の象乗り体験

⑦のつづき。

いざ、アユタヤへ

3日目、午後1時。
私たちはアユタヤ遺跡へ向かうべく、ホテルのロビーに仁王立ち、事前に予約しておいたガイド付き半日ツアー、その迎えを待っていた。昨日のタクシードライバー=チャンさんを思い、今度はただ迷わないドライバーであってくくれば良い、と願いながら。

やがて、真っ白なワンボックスカーがホテル前に滑り込んできた。ガイドのノイさんにご挨拶。日本語堪能、快活な笑顔。安心である。
乗り込んでみると、シートはふかふか、エアコンの具合もちょうど良い。なにより車内が広い。これならば、昨日のようにピンク・ガネーシャに着くのが先か、左右の尻がくっつくのが先かを心配する必要はなさそうだ。

午前中はホテルのプールで、これでもかとばかりに肉体を酷使した。朝食で摂取した馬鹿げた量のカロリーを消費するため、水中にて延々とその場ダッシュを続け、早くも筋肉痛に襲われている。

そのため、私はアユタヤ遺跡への移動中、およそ1時間強をまるで死んだように眠りこけてしまった。
気がつけば、そこはアユタヤ遺跡。赤茶けたレンガ造りの寺院や仏像が、そこかしこに点在している。かつてのアユタヤ王朝の栄枯盛衰を物語る、壮大な遺跡群だ。しかし深い深い眠りから覚めたばかりの私は、ゾンビのようにゆっくりと遺跡を徘徊するのみ、はっきり言って散策前半の記憶がない。40代にして「ほどほど」を学ばない、我ながら馬鹿者である。

ようやく人間らしさを取り戻した頃に感じたのは、数年前に訪れたアンコールワットとの共通点。
広大な敷地、煉瓦造り、仏教とヒンドゥー教の要素が融合した建築物は、長い時間を経て一部は自然と融合しつつある。

一つ決定的に違うのは、アンコールワットは戦敗により放棄され、数々の巨大なレリーフ、仏像がそのまま放棄されて残っているのに対し、アユタヤは破壊され、燃やされた寺院の焼け跡や仏像が多いということ。軽々しく歴史を語ることが憚れるような、戦争の産物であると再確認した。

象に乗る

次に向かうはエレファントビレッジ。友人AとYがこの旅のメインに設定した、象乗り体験である。象の背中に揺られながら遺跡の周りを散策するという、観光客に大人気のプログラムだ。
象乗り体験は2人1組、3人パーティーの我々は自然と2:1に分かれることになる。
私はレディーファーストとばかりに薄く笑い、友人たちに先を譲った。

あくまで紳士の振る舞いを気取ったが、これには理由があった。
子供でも分かることだが、象の背は、高い。
高いところが苦手な私は、純粋に恐怖を感じていた。以前、このメンバーでユニバーサル・スタジオ・ジャパン内の絶叫マシーンに乗った際、あまりの恐怖体験に茫然自失、マシーンを降りた頃には10歳ほど老け込み、新潟まで尻尾を巻いて逃げ帰った苦い思い出がある。
またあんな醜態を友人たちに見せるわけにはいかないのだ。うっかり変な声も出たりするし。

満面の笑みで象の背に乗り込む友人たち。
とても楽しそうだ。無事に目的を果たすことが出来て良かったです。私は帰りたいです。

時は待ってはくれない。いよいよ私の番である。
象に乗せられた私は、その高さに眩暈を覚えた。そもそも生き物の背を踏んで上がるなどという経験がないので、どのくらい踏みしめていいものか分からない。象の巨体がゆらゆらと揺れるたびに、口から心臓をはじめとした各種臓物が飛び出しそうになる(象だけに、と書こうと思ったが思いとどまった。これを書いている現在シラフでよかった)。

燦燦と照りつける熱帯の太陽、むせ返るような緑の匂い、そして、巨大な灰色の影。そうだ、私は象に乗っているのだ。
ゆったりと、しかし確実に、象は進む。その背に揺られながら、この巨大な生き物の温かさ、力強さを感じていた。

象使いの男性は、古びた帽子を目深にかぶり、無表情で象を操っている。その手綱捌きは、まるで長年連れ添った相棒と会話しているかのようだった。

荒地を抜け、川を渡る。
開けた場所に出ると、遠くには古びた寺院がそびえ立っていた。

象の背で見る景色、感じる鼓動、当たり前だがすべてが新鮮で、言葉に出来ない楽しさあった。
私は一人旅が趣味だが、臆病ゆえに友人たちが連れ出してくれなければ、この体験は出来なかったはずだ。

「石橋を叩いて渡るより、川に落ちても泳いで渡れる術を学べ」と、誰だったか偉い人も言っていた気がする。

象から降り、象乗りの男性にチップを渡す。
象の鼻が受け取りに伸びてくるので、そっと象に渡すまでが一連のアクティビティらしい。

象の鼻先は濡れていた。
それだけが、ちょっと嫌だった。

⑨につづく

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