死について考える Part.12
この体験、この書き物を漫画にしたいなーと思う今日このごろ。絵がうまくないので何とも言えない今日このごろ。練習すればいいだけの話だけど、練習って何からやればいいのかわからない。ググれカスって言われそう。
絵に限らず、いろんな習い事って何から練習すればいいのかわからないですよね。独りだと。だからこそ、習い事の教室があって、お金を払ってレッスンを受ける。このレッスンってやっぱり何をしていいかわからない人にプロが、プロじゃなくても、その方法を知ってる人が効率的に教える、というだけあって、生産性が高いと思うんですよ。
いや、全然死について考えてないけど。でも、この生産性や効率性ってすごい大切で、死ぬまでに限られた時間しかない中、やりたいことを素早く取得できるとしたら、みんな選びますよねって話で。効率よく学べるならレッスン受けようって話で。お金ってそのために使うべきなんだなぁと改めて思うわけです。
かくいう私は何もしてません。レッスン何も受けてません。最悪ですね。非効率的です。なぜ受けないのか?コミュ障だし、ケチだからです。
コミュ障は本当にキツい。もう本買うからそこに全部書きなぐってくれって思う。いや、本って、レッスン本ってあるじゃん。書き殴ってあるじゃん。でも買わない。本屋行かないし。アマゾンで売ってるじゃん。でも買わない。探そうとしてない。ケチだから。
ここまでケチを極めると何もしなくなる人間になるんだな。そんなお金貯めてどうするの?死んだ後それなくなるんだよ?それよりそのお金を使って今やりたいことをやったほうが良いんじゃないの?そうだよ。死ぬまでに楽しむ人生にするには、生きやすい人生にするには、お金を使って、生きやすさを獲得すればいい。楽しみを獲得すればいい。
美味しいものを食べるのだって良いと思う。いや、食べないけど。ケチだから。ケチって思ってるからケチになってるんだよ。私はケチじゃない。私はケチじゃない。いや、私はめっちゃ消費する。私はめっちゃお金使う。私はめっちゃ散財する。自己暗示しておけばどうにかなる?
といっても、本当に欲しいものは金に糸目付けずに買いますけどね。パソコンとか。ゲームやるために10万、ポンッと出せる。余裕。じゃぁ、ケチじゃない。本当に欲しい物にはお金出すんだから。
じゃぁ、その人生を生きやすくする、人生を楽しむために使うべきお金は、本当に欲しい物ではない?欲しい物ではないかも。何か物じゃないし。体験だし。形として残らないし。って思ってる自分がいる。多分。
それともう一つ障害があった。自分の時間がなくなる。ゲームやる時間がなくなる。もうこれってダサいね。
一時的な快楽のために、長期的なさらなる快楽を捨てている。ただの猿だ。
ゲームは脳内のドーパミンがドバドバ。でも一瞬。やってる時だけ。習い事で得た力はそれ以降ずっと。以降やる度に快楽が得られる。そうだとわかっているのにやらない。いや、ここで改めてわからせたのだからやりなさい、私。
何か習い事しないとな。漫画を描く習い事なんてあるのかな。何か怪しい学校しか出てこない気がするんだけど。ギターとかならあるね。ちゃんとしたとこ。ギター弾けるようにもなってみたいし。太鼓とか楽しそう。アフリカでぽこぽこ言ってるような楽器だけど。和太鼓じゃなくて。
そういうの近場にない。それもまた言い訳だ。言い訳ならいくらでも思いつくことがわかった。言い訳を全部なくすことは絶対に無理なんだから。もうやれって話。いくらやれって自己暗示しても、行動できないクズなんだ。
自己暗示ってすぐに効果でないか。であれば、毎日言ってやればいいのね。
他にも毎日自分に問いかける、毎日言ってやることをリスト化したほうがいいな。そして、毎朝暗唱するんだ。いや、声に出して言ったほうがいい。まず何だ。習い事をしろ。か?もっと具体的に行こうか。
絵の練習を誰かから学べ。
これで漫画描けるだろうか。なぜ漫画なのかって?この体験を…
あ、最初に戻ってしまったね。では、これで御暇させていただこうとしよう。
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