河合雅司「未来の年表 2」読書感想文
受刑者は “ 願箋 ” を提出しなければならない。
願箋は、がんせんと読む。
なにをするにも、まずは願箋を受け取り記入して提出。
物品購入願箋、図書購入願箋、廃棄願箋、面会願箋、投薬願箋、使用許可願箋、など次から次へと出てくる。
歯が激痛でも、まずは歯科治療願箋を提出して、とりあえずは我慢して、月に1回の診察となる。
歯痛くらいで、作業は休むことができない。
要は、診察をするまでは、本当なのか仮病なのかわからないという理由。
これも刑罰のうちだ、と思い込むしかない。
痛いのをこらえて作業をするのだけど、声も出せないし、手も当てれなく気もまぎれないので、生まれてはじめて痛さで気を失いかけた。
それら願箋の上部には、ハンコを押す枠が8つほどある。
係、担当、主任、会計、統括、所長・・・あと2つくらいは間になんやら役職があった。
すると、あるときから、ハンコが押されなくなった。
働き方改革の一環だという。
が、ハンコが押されなくなっただけで、物事が早まったわけではない。
脂汗を流して腹痛で苦しむ者も、まずは横臥許可願箋を提出して、休んでいいという許可がでるまで立ったまま。
夜中に尿結石の激痛となって苦しんでいる者も、まずは医務願箋を提出して、翌日に許可されてからの治療になる。
ただ、やってるだけ。
ハンコを押す手間を省いて、働き方改革しましたとやってるだけ。
・・・話が飛んだ。
少子高齢化について書かれた本の読書感想文である。
きっかけ
「未来の年表」の続編になる。
前作を読み終えての感想としては、これからの少子高齢化社会では、75歳までは元気で働くことを考えなけらばならない、というもの。
あと、専門家の著者が、暴走しているところがおもしろい。
無学な自分としては、こういう学識ある専門家がわけわからなくなちゃってる姿を見ると、なんだかホッとしてしまう。
小バカにしているのではない。
親しみがわく、という意味でホッとする。
それはそうと、少子高齢化社会については、まだ素朴な疑問がいくつか残ったまま。
続編となるこの本を読めば、それらが解消するのかも。
もうちょっと深く知りたい・・・という気持ちで官本で借りてみた。
読んでいる途中の感想
ぜんぜん深くない。
読んでいて、気持ちがずっこけてしまう。
河合先生は、また暴走しちゃってる。
人口減少により少子高齢化が進むと、自動販売機には商品が補充されなくなる、と著者はいう。
当然のこととして、売り切れが続出するという。
たしかにその通りだ、とうなずく自分がいる。
するとこうだ。
『喉が渇いた帰宅途中の高校生が飲み物を買えずに脱水症状を起こして倒れた、などという光景がそこかしこで見られるようになるのかもしれない。』
そんなの、人口減少も少子高齢化も関係ないでしょ!
水筒を首から紐でぶら下げとけ!
そりゃ、全国で10人か20人くらいは、自動販売機の売り切れで倒れる高校生もいるだろうけど、そこかしこで見られるなんてないだろ、と気がつけばつぶやいている。
ちなみに、本を読みながら独り言をブツブツとつぶやくのは、懲役病がかなり進んでいる症状である。
買い物難民が続出した末に
とにかく著者は論を続ける。
人口減少により少子高齢化が進んだ社会では、買い物難民が続出する、ともある。
ガソリンスタンドの廃業も続くと指摘もする。
たしかにそうだ。
まずいではないか。
そのあとに、著者は自信も以って述べる。
『すると灯油が簡単に入手できなくなる。とすれば、凍死する高齢者も続出するだろう。』
もう驚かない。
そこは少子高齢化社会とは別の問題でしょとも、宅配灯油だってあるのだからとは思うが、いたって冷静。
ここまでくると、著者の意図を感じる。
聡明な著者は、読者を驚かそうとして、わざとすっとぼけたことを書いているのかも。
未決囚のときに読んだ週刊文春での、著者のインタビュー記事が、まだ記憶に残っていた。
「少子高齢化社会の労働力不足に対応するためには、外国人労働者を受け入れなければならないのか?」という質問に「それがいいとかよくないという以前に不可能です。ほかの国でも少子高齢化社会になるので、わざわざ日本には来ないです」とばっさりと答えていた記憶がある。
さすが専門家だという印象があったのに、前作でも続作でも、どうしたんだろうと不思議にもなる。
著者の意図はなんだろうか。
以降は冷静に読みすすめる。
著者の意図を推測
続編であるこの本は、前作のような年表はない。
少子高齢化社会で予想しえる出来事を、著者はいくつも記述している。
住人の高齢化でマンションがスラム化する。
80代ガールが流行を牽引する。
農業従事者の減少で野菜が食べれなくなる。
少子化で大事に育てられた子供が生活習慣病となる。
杖をついた高齢者ばかりで電車のダイヤが混乱する。
放置家屋が増えてスズメ蜂に襲われる。
デパート売り場が痴呆症の老人で大混乱する。
投票ができずに民主主義が崩壊する。
おそらく、著者の意図は、読者を煽ることにある。
少子高齢化社会に危機感を抱かない愚民を煽っている。
でなかったら、大真面目に、こんなことを書くはずがない。
“ 環境問題カルト ” に続く “ 人口減少カルト ” を産み出そうとしているのではないか。
あぶなかった。
思わず、著者の陰謀に乗ってしまうところだった。
そういうところでいうと、この本はもっと過激に改題したほうがいいのかもしれない。
ひとつ案を挙げると「ノストラ雅司の大予言 - 2042年7の月、日本は消滅する 」といったあたりか。
読み終えてからの感想
少子高齢化による人口減少の社会に対しては、ああなるこうなると、あまり悲観的になると、それこそ “ 人口減少カルト ” になってしまう。
それも社会を変える動きかもしれないが、自分は傍観者でいいのかも・・・と思えてきた。
傍観者とはいっても、無関心でもなければ無気力でもない。
関心も持って、冷静でもいて、楽観もしてない傍観者。
少子高齢化社会で自動販売機でジュースが買えずに脱水症状になったり、灯油が買えなくて凍死したりしないように、我が身は守れる傍観者。
国の施策だけに頼ることなく、我が身だけのことは考えれる積極的な傍観者。
あとは健康か。
前作では75歳まで元気に働こうという気もおきたけど、それには健康がなければか。
人としては最悪な姿勢かもしれない。
でも、せいぜいが、それくらしかできないな・・・と、3畳の独居房を眺めただけだった。
出所してからの感想
この本が発刊されて5年が経つ。
檻の中で読んだ4年前には「ノストラ雅司の大予言」なんて書いてしまったけど、今になるとけっこう的中している。
的中はしているが、人口減少だけが原因ではないようでもあるし、それに対応する動きもある。
「空き家と所有者不明の土地が増大する」については、自治体が有効な施策を行なっている。
「高齢ドライバーの事故が増える」については、免許返納後の交通システムも模索されている。
「電車、バスの運転手のなり手がなく路線が縮小する」については、なり手よりも収支が問題となっている。
「ドライバー不足で物流が破綻する」については、労働環境が改善されたことでの “ 2024年問題 ” となっている。
リモートワークという事象も発生した。
自動運転も一部実現している。
AIが人の仕事を奪うのも現実化してきた。
アツルハイマーの薬もできたという。
こういった新しい施策や、進化した医療や技術で、少子高齢化社会はなんとかなっていくのではないのか、とも傍観者は思えてしまう。
ただ1点だけ、あの本の中で自分が断言できるのは「刑務所が介護施設と化す」という部分。
これは間違いないだろう。
法律を厳守する刑務所の体質として、高齢化社会を予見していても、前もって前向きに対処することなどできないと想像がつく。
なにか問題が起きてから対処するのが常なので、刑務官は大変だろうな、と意地がわるい心配もした。
すると、新聞の記事に “ 懲役刑 ” がなくなるとある。
あの懲役がなくなるのだ。
高齢者の受刑者が増えてきていて、全員に一律に刑務作業を科すのが難しくなってきてるので、数年後からは “ 自由剥奪刑 ”とやらに法改正をして混乱を防ぐという。アイツら 彼らに、そんな未来を見据えた対応力があったのが、自分には驚きで仕方がない。