三国志2-part2
三国志をメタファーにマーケティングと経営を主題に創作された物語です。
三国志2-part1から続く
https://note.com/tanaka4040/n/ne229cf997289
大軍動く
いつの時代の天も、地も、風も、今と変わりはない。
岩肌の荒々しい大地に聳(そび)え立つ幾多の奇岩に囲まれた“工”の国に吹く強い西風を受け、“工”の一字を染め抜いた軍旗が蒼穹に翻(ひるがえ)っていた。その数、十万。※蒼穹=青空・大空
「出去撃!(出撃!)」
高楼から全軍を見下ろしていた“工の国”の王が“農の国”へ進軍を命じると、天高く舞い上がる鳥の視点から見わたせば大蛇のような軍列が、うねるように動き出した。
十万の軍隊が農へ至るまで五日。五日後には、兵馬ともに貧しい農の国など、まるで象が蟻を踏み潰すように、鎧袖一触で粉砕されるに違いない。
「工の国が、農の国へ攻め入る」との一報は早馬で“商の国”と当事国の“農の国”へ伝えられた。
対局と大局
報に接した商の国の王は、碁を打つ手も止めずに、
「怎想?(どう思う?)」
と対局者へ意見を求めた。
対局者は碁盤から目を離さずに微笑んだ。商の国に小さな庵を結ぶ商寺の和尚である。「工国困苦的情況(工の国は苦しいようですね)」
軍師の投げかけに、商王も微笑んだ。
「是(ああ)。そのようだな。工の国が作り出す物品も、ひと通り行き渡ってしまって、以前のように売れなくなってしまった。それはそれは苦しいに違いない。しかし、だからといって」
「いまさら、兵を起こすとは」
「戦略という大局観のない国である証拠だ」
「我が国で厳しく禁じられている押し売り、だまし売り、八百長のようなものですな」
「押し入られる農の国には打つ手などなかろう」
「しかし、我が君。我が国としては、布石を打つ機会かも知れませぬぞ?」
「ほう、死活の農へ策を授けるか?」
「ふふ、岡目八目こそ軍師の視点」
大局観、八百長、打つ手、布石、死活、岡目八目……碁に由来する慣用表現を用いた会話を打ち切るように和尚は不意に碁を打つ手を止め、
「我が君。あと5日ということは時間がありませぬ。この勝負、拙僧に預けては呉れませぬか?」
商王は、和尚の顔を悪戯っぽく見つめながら、
「この勝負とは、この碁の続きか?それとも、工国と農国の戦いか?」
「御意のままに」
「ふふふ、何か考えておるな?良かろう。二つとも和尚に預けよう」
「謝謝(ありがとうございます)」
和尚は、厩舎から、長距離を疾駆できそうな駿馬を引き出してきて、馬上の人となった。
「農の国へ行くのだな?」
商王は、琵琶股の張った黒鹿毛に跨(またが)る和尚のそばに近づき、
「で、兵はいかほど連れて行く?我が国の兵は専業の兵だからな、一騎当千の猛者ばかりだ。兵農一体の農軍は言うに及ばず、十万とはいえ兵工一体の工軍など烏合の衆。わずか一万で蹴散らしてくれようぞ。一万などと吝(しわ)いことは言わん。五万でも十万でも好きなだけ率いて行くがよい」
和尚は微笑みながら首を振り、
「ありがとうございます。馬上から返答する無礼をお許しください。拙僧一人で参ります」
「なんと!」
「むろん、勝つためには、我が君の精鋭軍をお借りしなけばならないでしょう」
「うむ」
「しかしこの戦いは、我が国を守る戦いではありませぬ。当事者は農国と工国です。我が君の兵は、ただ一人たりとも失うわけにはいきませぬ」
「しかし」
さすがの商王も首を捻った。「勝てるか?」
「我が君。勝つだけが戦さではありませぬ」
「む?」
「国家経営と同様に、負けて斃れなければ良いのです」
「勝たなくても、負けなければ良いとな」
「御意。それでしたら一人で充分」
「とはいえ、一人で、どうやって戦うつもりじゃ?」
「戦略と戦術と戦法で戦います」
「頭脳で戦うと申すか。ふふ、和尚らしい」
「左様、武力は無くとも、頭脳さえあれば何とかなりまする。色男、金と力は無かりけり…と申しますでな」
「はははは!色男とは申したのう!好(よし)!道中、気をつけて行くがよい」
和尚は、黒鹿毛に一鞭いれると、砂塵の彼方へと走り去っていった。
負けない戦略
その日のうちに和尚は農の国へ入った。農の国の王宮では、農王みずから和尚を出迎えた。
「和尚!よく参られた!さ、さ、紫宸殿へ」
朽ち果てた宮殿を歩きながら和尚は思った。
「何も変わっていない」
農王に請われて農国を訪ねたのは一ヶ月前だった。あれから一ヶ月。
「何も変わっていない」
農王は思わず和尚の顔を覗き込み、
「口恩?什公?(え?何が、じゃ?)」
「不、算不了什公(いえ、何でもありませぬ)」
「そうか。ところで早速だが軍議を開きたい。重臣どもも揃っておる」
和尚は立ち止まり、厳しい視線を農王へ送った。
「会戦か?降伏か?これから評定なさるおつもりか?」
「その通りじゃ。戦えば負ける。しかし降伏するわけにもいかない。真っ二つ
に分かれておる」
「会戦ならば籠城か?打って出るか?」
「左様。そこで貴殿が頼みの綱なのじゃ。商国の兵は、いかほど援軍に参られよう?それによっては軍議の結論が変わろうというもの」
「一兵も参りませぬ」
「なにっ?」
「一兵も参りませぬ」
「な、なんと!それでは貴殿が来た意味は?」
「戦いに来たのではありませぬ」
「おのれ、降伏を勧めに来たか!」
和尚は、苦笑しつつ、手の平で制し、
「王よ、相変わらず早合点で短気ですな。とはいえ、ご性格ですから、お怒りになるのも良いでしょう。しかし、怒って何の解決になります?」
「む」
「怒れば勝ちますか?」
「うう…」
「かえって思慮を失うばかりではありませぬか?いや、ご気分を害するだけ損ではありませぬか?それで一国一城の主が勤まりましょうぞ?」
「む……。そのほうこそ、相変わらず、歯に衣着せぬ奴じゃ」
「苦い薬を飲ませるのが拙僧の役目」
「ほざいたわ。よし、その苦い薬、飲んでやろう。なにしに来た?」
「戦略を授けに来ました」
「戦略?」
「はい。戦わずしてなお降伏しない方法です」
「和尚、そりゃ魔法じゃ。それとも、そちゃ夢でも見ておるのか?」
「魔法ではありませぬ、戦略です。戦略ですから、一年先を見越して頂きます。五日後に戦うとか、降伏するとか、そんな短期的な戦術など無意味。よって、軍議も無意味」
「軍議は無意味?戦えば負けるから、か?」
「そうです。戦術的には、戦わない道を選ぶしかありませぬ」
「降伏か?」
「降伏しないための戦略です。そもそも、貴国に戦略がないからこそ、今日の亡国の危機を迎えたのですぞ?」
「戦略が、ない?」
「ただ単に、王がいて、臣がいて、民がいる。それで国家の体形を保っている。
しかし、戦略なきゆえに、敵に攻め込まれ斃れそうになって慌てている。それが貴国の現状」
「むう。能書きはよい、その戦略とやらを早よ聴かせい」
「では、二人だけで話せる場所へ」
「ナゼじゃ?軍議の席でも良いではないか」
「降伏派の中から、密告者が現れるでしょう。戦略は、決して明かさぬもの。敵に明かされてしまっては、裏をかかれてしまいます」
「わかった。では、余の寝殿で話そう」
主観と客観
農王の寝殿に入った和尚は地図を広げた。
「三国が交わる地を、兵法では、衢地(くち)といいます」
和尚は、諸葛孔明の軍扇の如く真っ白い羽根で、地図の一点を指した。
農国と工国と商国が交わる衢地にはかつて、今は亡き“士”の国の都トンキン(東京)があった。
「工の軍は、トンキンを通るはず」
これには農王も異論はなかった。
トンキン以外の国境線には峻険な山々が連なっており、兵站を考えると、この山々を十万の軍勢が越えるのは容易ではない。
軍勢は必ずトンキンを経由して攻め入ってくるはずであった。
「このトンキンの地は低い」
地図を覗き込む農王の顔からは血の気が失せていた。
「可是(しかし)」
「什公?(なんでしょう?)」
「貴国の援軍なくして国は守れまい。我が国の兵力だけでは太刀打ちできぬ」
「王」
「なんじゃ?」
「お渡しした紙を見ていただけましたか?」
「客観営為は、な」
「それです。王は主観の罠に陥っておられる。ご自分の視点で観たものだけを 頼りに、ご自分の考えだけで判断なさろうとしている。だから兵力不足に不安を募らせる」
「余は当事者じゃ。主観的になるのは仕方あるまい」
「むろん、主観的で構いませぬ。むしろ、主観的であらねばなりません。それに加えて客観的であれと申し上げているのです」
「できん…と言ったら?」
「そのときために商王は、岡目八目で見る、拙僧のような第三者を抱えているのです」
「余には、召し抱える余裕がない」
「わかっております。だから勝手に来たのです」
「戦いは兵の多いほうが勝ちぞ?敵は十万。味方は二千。どう考えても勝ち目はない」
「確かに、戦えば勝ち目はないでしょう。だから戦わないのです。一年先まで」
「一年先まで戦わない?」
「その間に国を富ませ、兵を養い、攻め入ろうにも攻め入れない体制を整えるのです。そのための戦略が…」
「が?」
「戦わずして負けない戦略。接触遮断の陣なり」
和尚が授けた戦略「接触遮断の陣」とは?(part3へ続く)