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旅立つ

本当は全く違うことを今日書こうと思っていたのだが、この気持ちをどうしても今のうちに書き残しておきたくなった。

今日は、私の所属大学の卒業式であった。とはいっても、こんなご時世のご多分に漏れることなく式典は中止となり、構内で証書等を配るだけ、という大変こじんまりとしたものだったのだが、みんな日頃の鬱憤晴らしなのかやけくそなのか、はたまた最後の記念のため自分のためなのか、きちんと振り袖やスーツでおめかししてくる人たちが殆どで、「書類取りに行くだけなら私服で良いだろ」というスタンスの人が少しだけ浮く、という、恐らく今年しか見られないであろう「装いの多様性」光景をそこかしこで見ることができた1日であった(ちなみに、NHK関東版でウチの大学が取り上げられていたらしい。取り上げられる位には、卒業式がないくせに皆着飾りはっちゃけていたのだろう笑笑)。

私は、今回が四度目の「見送り」である。あれっ、と思われる方が殆どであろうが、私は諸般の事情により、この大学で五年目を迎えることとなっている(断じて「成績不良で留年せざるを得なかったバカ」などではない、ということを申し添えておく)。
今までは先輩を見送ってきて、旅立たれる先輩への憧れやエールの気持ちで一杯で、多少の寂しさこそあれど、でも全力でお祝いさせていただきたかったから、そこへあまり目を向けることなくそれぞれの一日を終えてきていた。大学を卒業しても、懇意にさせていただいていた先輩とは意外と会えちゃったりしていて、だから卒業式には「1つの節目」以上の意味を感じていなかった。

最近自分が旅立った式典といえば高校の卒業式である。ではその際どうだったかというと、実はその日まだ進路は何も決まっていなかった。決まっていたことは卒業式の4日後に第一志望の合格発表があること、合格発表の日にもう一校受験が控えていたこと、そこまで全部落ちたら浪人すること、あとは受験後にクラスメイト7人で卒業旅行でスキーに行くことと卒業ライブ主催のため様々な仕事が残っていたこと位だった。受験のことだけでも見えないことだらけだったし、来月からの生活のことはよくわからないし、何より今月なんだかめちゃくちゃ忙しいし……ひっちゃかめっちゃかな状況だった。
だから正直別れを惜しむにも最後はっちゃけて遊び倒し喋り倒すにも、どこかにまだそのことが引っ掛かっているような気がしていて、輝かしい実績を引っ提げて進路を勝ち取った友人達の輪に入りきれないような気がちょっとしていて、そんな少し足元が浮わついたような、「◯◯しきれない」ような、そんな心持ちのなかでの1日だったことを覚えている。余談だが、僕は第一志望には見事落ちて、でもその日受験した大学に何とか合格することが出来て、今に至っている。

さて、話を今日に戻そう。僕は卒業こそしないが、四年間共に過ごしてきた部活やゼミのみんなに最後一目会いたくて、そして共に写真に写るのに私服はちょっとと思って一応スーツに身を固め、大学構内の喧騒のひとつとなっていた。みんな、駆けつけてくれた後輩たちと少しだけでもと交流したり(大学から在学生への入構制限や追い出しがかかるかもしれない、という噂がありゆっくりと語らうことが難しかったのだ)、お世話になった先生へ挨拶をしたり、同級生と進路のことを話ながら写真を撮り合ったりと思い思いに過ごしていた。僕も「今日は卒業生のコスプレです!」などと冗談を飛ばしながら友人たちと写真に写ったり、カメラマンになって「映える」写真とやらを作る手伝いをするなどしていた。
全ての友人が希望していた進路へ進む訳ではないのだろうけど、それでも彼ら彼女らなりに次のステージにしっかりと目を向けていて、何なら片足をそっちに突っ込みながら、大学最後の1日をワイワイと過ごしていた。

一人、また一人と最後の「バイバイ」をしていく内に、僕は普段こういう日にあまり感じてこなかった感傷に浸っていっていた。仲間たちが旅立っていくのを、僕はここから見送ることしかできないという、仕方ないと分かっていても感じてしまうむなしさ。これからも会える奴は何人かいるとは思うけど、距離的に会いに行くのがなかなか難しくなる人だっている。これからも繋がりを築いてわざわざ会いに行こうとまでは思わない程度の関係だった人との別れさえ、「もしかしたらこの人とはもう二度と会えないかもしれない」と思うと、何とも言えない寂寥が僕の心をじわじわと襲う。今まで「卒業=節目」という感覚以上のものをあまり持ち合わせてなかった僕に、同じ"4年間"という時を過ごしてきたということの重みが、今日まざまざと突きつけられたのである。

華々しく式典があって、僕はそれを外で待ってて、最後写真を撮って笑顔で別れる、といういつもの"卒業式"だったら、少しは違ったのかもしれない。中止になったからこそ式典特有の慌ただしさもなく、みんなとの最後の語らいが最大の目的になりゆっくりと過ごせたからこそ、より「自分はまだ在学して頑張るんだ」という、他の人とのギャップを感じたのかもしれない。勿論、自分で選んだ五年目だから、本当は他の人と何にも変わらない筈なのだけれど、「卒業」と「在学」ということを勝手に僕が比べてしまっていたし、「みんなが旅立ち僕が一人残る」という感覚が強く僕の胸のなかに残っていた。

見かねた部活の仲間たちが最後、わざわざ遠回りして僕をアパートまで送ってくれた。最後、色んな話をしながら帰路について、そのなかで「例えば◯◯(部活のイベント名)があったときに君が"久しぶりにみんなの顔が見たいなあ"とか情に訴えかけながら言ったら何人か来てくれるよきっと」だとか「みんなの誕生日をリマインドしておいて祝ってよ」だとかをとりとめもなく喋っていて、最後ぽつんと「君はここへ残るけど、別に君は一人じゃないんだよ、頑張れ。」というようなことを言ってくれた。その、彼女たちなりに一生懸命僕を励まそうとしてくれる優しさだとか、改めて僕らの繋がりを伝えようとしてくれたってことが僕の心を少しあったかくしてくれたような感じがして、僕も「学生」として一生懸命頑張らなきゃな、と改めて思ったのと同時に、漸く僕も彼ら彼女たちをきちんと「見送れた」ような気がした。

僕は明日からもここで日常を送る。彼ら彼女らはこれから怒濤の日々となろう。でも、きっと大丈夫。未知へ飛び込もうとする今日のみんなの表情を見ていたら、何か「大丈夫」って感じがした。みんなも、僕も。
たまにはこっちにも遊びにきなよ。その時は幾らでも愚痴を聞くから、酒でも飲もう。
僕もみんなも、明日へ向かう旅立ち。これまでそうだったように、ワクワクしながら、それでも用心深く、四年間の成長をフル活用して、壁に向かって走りだそう。
沢山の同期の皆さんと、色んな場面で関われて本当に良かった。お世話になった全ての仲間たちへ心からの感謝を。
卒業おめでとう。皆さんのこれからへ幸あれ。(2020/3/19)

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