自動運転に一方的に期待し、勝手に失望した話
題名の通りなのだが、新しい技術が好きな僕は「自動運転」に一方的に過度な期待をしていた。何かで読んだのか、誰かにそんな話を聞いたのか定かではないのだが、自動運転がもし普及したら、
車での移動中に仕事を含め様々なことができる。車移動により「運転の時間」だったものが「自由な時間」になり生産性が飛躍的に上がる。
今後は、社内で過ごす時間を取り合うような世の中になる。
という勝手な幻想をいつしか抱いていた。
しかし、今日そんなこともないなと改めて感じた。
長距離移動することは、それ自体が消耗につながる?
今日なぜそんなことを感じたのか。神奈川から大阪に新幹線を利用し、日帰り出張をしたことに理由はある。
出張中の仕事量は、普段(出張のない通常の日)とほぼ変わりない。しかし、出張から帰ってきたいま、正直「疲れた…」と思っている。
これを書いている今は月曜日で、前日の睡眠はしっかり取れていたし、帰宅した時間は普段よりも1時間程度早く、念のために確認したiPhoneの歩数計も普段よりも若干少ない歩数でしかない。にも関わらず疲れているのだ。
あまり土地勘のない場所に居た。出張自体が多くないから無意識の緊張があった。など理由はあるかもしれないのが、長距離を移動することはそれ自体が消耗につながるように思う。
常にタクシーで移動したら、生産性は本当に高いのか?
ここで、自動運転の話に戻りたい。
自動運転が普及した状態。それは言うなれば、車移動をすべてタクシーでしている状態(自分以外の誰かが運転をしてくれている状態)に近いと思う。そうなると、その時間でできることは、
・電話する
・睡眠をとる
・考え事をする
意外とこの程度かもしれない。
僕個人で言えば、新幹線でPC作業することはできても、車でのPC作業はかなり厳しい。
結局、もし自動運転が普及したとして、僕としてはそれほど生産性が上がることにはつながらないのかもしれない。そう気付いたときに、勝手に期待していた分、ガッカリしてしまったのだ。
もちろん、トラックとかで一人の運転手が1台を運転していたものが、数台分の荷物を運べるようになったり、世の中的には生産性が向上はするのだとは思う。
ただ、自身の生産性向上につながらないことが気になっただけに過ぎない。
それでもガッカリしたことには変わりはない。
実は、自動運転が普及することよりも、出張自体がなくなること、例えばオンライン会議ツールがもっと便利になるなどの方が享受できるメリットは大きいし、そうなる方が時間的にも早いのかもしれない。
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