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応援できる幸せ

千鳥の大吾がなんかの番組で「応援したい人が近くにおることが一番幸せ」と言っていたのが妙に刺さっている。
お金がない彼氏ばっかりつくる女の話だった気がするけど、明快な回答で共感を呼ぶ、あるいは全くそんな傾向にない人にも考えさせるフレーズだなと思った。

振り返れば、インディーズ時代はめっちゃ応援してたのにメジャーデビューした、ファンが増えたらなんとなく聴かなくなってしまったアーティストとか、
M-1で優勝したり準優勝以下でもブレイクしたりするとなんとなく遠目で見てしまうようになる芸人とか、
そういうところにも通じる何かがあるかもしれない。

自分は生まれてこの方ジャニーズにもハロプロにも秋元康プレゼンツアイドルにもがっつりハマったことはなく、そんな人たちの気も知れなかったけど、彼ら彼女らが熱烈なファンを集めるのはその辺の心理が効くからなのかも、と思って少し納得できる気がした。

家族もそうかもしれない。
子供の部活や習い事はもちろん、夫が、妻が、兄弟姉妹が何かを頑張っているのを応援できるのは幸せなのかも。そんなふうに見たことはなかったけど、小説、映画でもそんな風景は結構思い起こすもんなぁ。
同時に家族の頑張る場面やフィールドが無くなった時、その要素が強ければ強いほど歪みが出てしまうのかもしれない。程度はあれ、何かに対してチャレンジを続けることは周りの人にも幸せを提供できる気もする。

もちろん、応援したい人ばかりではない。
生まれてこの方だれも応援したいと思ったことがない人もいるかも。
アンチもいる。いろんなアンチがいるけど誰かの頑張りをくじくのもあるかも。
そういう意味では応援してもらえるのはちょっと奇跡的なことで、幸せなことかもしれない。

阪神ファンが勝っても負けても長い目で見ると幸せそうに見えるのも、大きな意味では大吾のいう幸せなのかな。ひどいヤジは肯定されるもんではないけども。
でも、愛のあるヤジは嫌いじゃない。この辺の塩梅は繊細ですごく難しいよね。

まとまりません。
今日はこの辺で。

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