魔女狩り的コンペ
魔女狩りってご存知ですか?
中世のヨーロッパで魔女の概念が誕生したんですが、それと同時に魔女を排除しようとする力も大きく働き、魔女裁判と呼ばれるものが行われるようになりました。
なんでそんなことをするようになったのか?という部分は完璧には解明されてなくて、今でも魔女狩りをめぐる理由は諸説存在しています。
すごく簡単にいうと、魔女狩りというのは偏った思想を持ってる人にムチャクチャな罪をなすりつけて、糾弾したり排除行為を行ったりすることをいいます。詳しい方から見ると「いやいや、あまりにも簡単にいいすぎだろ」と言いたくなる説明ですが、一般的な広義としてはこんなもんだと思います。
で、その魔女狩りなんですが、、、
町興しを冠するイベントでも、これに近いような姿を目にすることがあります。もしかしたら今日は、マーケティングとか経営心理学といった話じゃなくて、単なる市政の問題点に触れるだけで終わるかもしれません。
最初にお伝えしたいんですが、全ての町興しに魔女狩り要素があるのか?というと、まったくそんなことはありません。一個人の意見として捉えていただきたいのですが、ごく一部の条件が揃ったときのみ、町興しに魔女狩りに近い要素が生まれると思っています。
その要素というのは、ビジネスコンペと市政です。
町興しというワード自体はよく耳にすると思います。なので、地域で大なり小なりビジネスをしている人があつまって、またはビジネスや地域活性化に興味がある人があつまって、なんらかの催しを行ったりします。
長期的に持続するビジネスに発展すれば、経済循環の一因になれますし、たとえ瞬間的なものだったとしても、地域住民の士気を上げることはできます。
なので、町興し自体はすっごくいいことだと思っています。
なんですが、「町興しをしたいけど、いいネタが見つからない」となってくると、ちょっと雲行きが怪しくなります。
ネタがなくて困り果てたとき、ごく稀にビジネスコンペをするところがでてきます。要は、「町興しのネタをください!」と大々的に告知してアイデアを持ってる人、現実化させたい人を集めます。そして、その内容を審査して、採用した人には支援をする。
こういうのをビジネスコンペと言います。
ですが、これには重大な欠点があります。それは、参加した人は評価されようが落選しようが、どっちみち散々な目にあってしまうというものです。
まず落選した場合。これはシンプルに「あんたのアイデアはくだらんな」と直接言われるようなものです。なので、がんばってアイデアを練ってきた参加者にとっては自分の存在価値を根っこから否定された気分になってしまいます。
一方で評価された場合。この場合は実際に町興しのアイデアに使われます。ですが、ビジネスコンペの主宰が市政だった場合、ほとんどの確率で「あとはイベント会社やオーナーと話を進めてね」とほったらかしにされてしまいます。
で、肝心の市政とオーナーも「アイデア持ってる人を集めてみるよ」などと、そこまで話し込んでないことがほとんど。
なので、せっかく合格した参加者がやったるぜ!と意気込んでも、蓋を開けてみると実は「場所は提供するけど、集客や運営は自分でやってね。あと、マージンよろしく。」と言い放たれて、四苦八苦するはめになってしまう、、。
なんてことになるんです。
たしかにごく稀に補助金がでたりするパターンもあります。ですが、その場合もしょせん勝てば官軍の世界です。なので、結果が出なかったら「もういいよ」とすぐ切られてしまったりします。(しかもそのハードルがわりと高い)
さらにここからが題名にも繋がる部分なんですが(前置き長いw)、そもそもコンペ自体に人が集まらなかったら、どこかしらの学生や団体に声をかけ始めます。「一緒に盛り上げませんか?」なんていい風なことをいいながら。
けどその実態は、無理やり巻き込むに近い形で指名することがほとんど。そして、案や行動を細かく監視して、少しでも気にくわないことがあったら実践する前に潰してしまう。
もちろん、町興しに参加することで、その街の有名人や議員さんとつながることができるかもしれません。ですが、そんなのならわざわざコンペに参加しなくてもできることです。さらにはあまり知識のない人に補助金を渡しまくって、働けど働けど国にお金が流れてしまうようにしてしまう。
これこそ、ぼくがいいたかった魔女狩りに近いコンペです。地域活性化に携わってる方なら1度や2度は見たことがあると思います。(それに、ぼくと同じようなことを言ってる人もいるかも)
なので、ビジネスコンペ式の町興しは、いったん冷静にみる必要があるとぼくは考えます。
田辺輝恭