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いわゆる「学校の先生」を始めて約半年が経った

弊社はシステム開発とITスキルの企業研修を事業としている。企業研修は今年から始めたので、実質ずっとシステム開発をしていた。
顧客やユーザーへの価値だとか、設計の可用性・保守性だとか、ガチめなIT技術屋として存在を続けていた。

そんな中、この技術を「教える」という方向性にシフトしたのは思いつきからではない。ずっとやりたかったこと、温めてきたことを腰を据えてやろう、と思えたからだ。
自分自身、なかなかに優秀なIT屋だと自負してきたおかげで「自分レベルのIT屋がたくさんいれば国力を取り戻す原動力になる」なんてことを夢想していたのだ。

そういった中で突如舞い降りた「学校の先生」という仕事。今はゲーム開発を教えている。当初はWebエンジニア育成のはずだったのだが、ゲーム開発の現場を経験した経験のせいで白羽の矢が立った。
ようやく前期日程が終わり、もうすぐ審査会がある。およそ半年が経過したわけだ。ついでに企業研修の報告会もあるので、受講者たちの成長を目にすることができる最高の一週間となる。
このタイミングで、今まで主にIT屋として生きてきた自分が経験した「学校の先生」について記録しておきたい。


前提は「プロを育成する」こと

まずちゃんと書いておかないといけないこととして、自分は専門学校の「講師」であり、「教師」ではない
当然ながら、教員免許が必要な範囲では教える資格がない上に、大学時代に教職の授業も受けていないので「人に教えること」を専門的に学んだことは一度もない。

それでも、プロ講師としてプロフェッショナルの育成を第一義として授業や研修をしている。
この意識を一度も忘れたことはないし、これからもこの意識だけは必ず持ち続けたいと思っているものだ。受講者や生徒から好かれる必要もなければ、憧れられる必要もない。ひたすら「ITのプロとは」を説いていくのだ。

実は先日、専門学校でアンケートを取ってみた。
「本当にプロになりたいと思っている人〜」と。超少なかった
(嘘だろ…)と思った。講師として契約するときも、自分自身の胸の内としても、「プロを育成すること」に主眼を置いていた自分とユーザー(生徒)の意識は別だったのだ。

わからなくもない。プログラミングや設計、そしてマネジメント、その他付随するITスキルなど、勉強すればするほど「自分には向いてないかも」と思ってしまうものだ。
峠を越えさえすれば急に視界がクリアになるが、それまでは暗闇の中を手探りで進むような感覚に陥ってしまう。だがそれでも、自分はみんな「プロになりたい」というモチベーションを保ってくれてはいると考えていた。
考えが甘すぎた

なんとなくエンジニアになれればいいや程度の人もたくさんいる。それ自体は否定しない。そして最近の若者は「リモートワークしたいから」という理由でエンジニアを目指す人が多いのも知っている。別に否定しない。
だが、決して肯定もしない
メンタリングやコーチングをする気はないが、それでも「プロになるとこんなに楽しいんだ!」「自由にモノづくりできる力はこんなにかっこいいんだ!」と伝えていきたい。このあたりは自分の腕の見せどころだろう。

※企業研修を受講される方は基本的にめちゃくちゃモチベーション高いのでここに含まない。

授業準備がウルトラ大変

これは多くの先生がぼやいていることだとSNSで知ったことだが、授業の準備がエグすぎる。
そしてこの準備時間はお金がもらえない。ひどいときには授業で教える時間をはるかに凌駕する時間が準備にかかったりするわけだ。

講師によっては市販の教材をそのまま使っている人もいるが、それなら「自分でその本を理解できるまでやりましょう」と一言伝えれば終わりではないのだろうか、とも思う。だがよく考えれば日本の教育ってそういうシステムなのだ。
教科書を購入し、それをベースに先生が授業を進めていく。このやり方はきっと先生の負担を少しでも減らしたいという気持ちと、授業の標準化を目指した結果なのだろう。

自分はどうしてもこのやり方ができない。受験勉強ならまだしも、プロ育成の現場で教科書を与えるのは決して得策ではないはずだ。
社会人になったらみんな気づくが、プロの現場には「これが正解です!」というものがなく、周りが手取り足取り教えてくれるわけでもない。教科書的な教わり方から卒業させることも授業の一環にしたいのだ。

多くの実践型プログラミングスクールがやるように、自分はプロジェクト形式で進めている。必ず何か「つくるべき対象を考えさせながら」進めていくスタイルだ。
さらにここに自分なりに考えた結果、自分がPMとなることにした。これが一種の地獄を生み出すことになるわけなのだが(忙しすぎる)まぁまぁ効果的ではある。今のところ、「自発的な行動」と「プロに聞ける安心感」がほどよいバランスで進められている。

「学校を休む」という選択肢への驚き

先述した通り、けっこう考えながら今の育成方式を構築していったのだが、どれだけあがいたところで専門学校は「学校」なのである。
生徒の中にはごく自然にサボることが選択肢に入っている人間も少なくない。

こればかりは「絶対に改善してやる」と固く誓っている
自分が教えている授業は他の学科や全国の同じ系列の出席率から見ると上位とのことだが、自分は出席率100%が理想なのだ。無論、一時期学校で風邪が流行ったときは仕方がないと思ったが、休んだ理由が「遊んでた」ということも少なくない。

先生、怒っちゃうぞ☆

というかすでにけっこう叱っている。現代的な教育現場だと、保護者がどうとかクレームがどうとか言われるが、知らん。
体罰こそしないが、くだらない理由で飄々と休んだ人間に与える優しさなど持ち合わせていない。それでクレームが入って学校からどうのこうの言われたら「申し訳ないが、それでも同じことを続けます」と言うだろう。(幸いまだそういったクレームは来ていない)

こっちはプロを育てるつもりで接している。
プロはそんなことで休まない。仮に休んでも家で仕事していることも多い。(休みとは、みたいな哲学はさておき)
絶対に社会を舐めたまま卒業させてやるもんか、と心に強く誓いを立てている。

それでも、人が育つ姿を見るのはとても楽しい

なんやかんやつらつらと書いてきたが、それでも人が育つ姿を見るのは楽しいのだ。
このまま皆勤賞を狙える生徒もいれば、最初は小さなタスクも解決できなかった生徒がきれいなC++を書いてきたりすることもある。なかなかやる気が出ずに学校に来なかった子が、途中から学校に来てやたらグラフィッカーとして開花したりもする。音楽の才能を開花させようとしている生徒もいたり、世界観が美しいゲームを作ろうとする生徒もいる。
人間とは不思議なもので、こちらが頑張ると相手も頑張ってくれようとするのだ。(もちろん人によるが)

年間契約なので、来年も継続するかはわからないが、それでも「学校の先生」をやってみて良かった。
願わくば彼ら彼女らの未来が明るくなるよう、これからも尽力していきたい。

そして、後期の授業の出席率をぶち上げていきたい。

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