動物の大体は太ってるほうが価値がある。魚にしても肉にしても、筋張ったほうが美味しいと言う事はあまりない。マグロなんて大きければ大きいほど高値がついているではないか。 人はなぜ太っているとだめなんだろう? 見た目?自己管理ができてない、ダメな人間? 病気になりやすい? 赤ちゃんは太っているほうが可愛がられるけど、何歳くらいからか「ちょっと痩せたら?」なんて言われるようになる。人は太っていて良いことってあまりない。性格もどっか影が出来る(気がする)。明るくニコニコを義務付け
断捨離の名残があってちっとも片付かないが、一応のめどが立った。 子供の残した漫画も売るつもりである。スラムダンクとリアルとバガボンドは残して。母の着物や父のスーツも引き取ってくれるそうなので、とにかく持っていこうと思う。まあそんなところを綺麗にすれば、大分片付く。 捨てている間は妙なアドレナリンが出て、これもあれもと勢いづいている。指定のごみ袋の中にばんばん放り込む。そうでないと、断捨離とは言わない。 しかしいったん休んで次の日、となると同じアドレナリンはもうでないから、
朝8時ごろ化粧をして、昼過ぎに人と会うからまたファンデーションやチークをちょい足しして口紅を直した。 玄関を出ようとふと鏡に映る自分がとても厚化粧だと言う事に気づいてしまった。もう落としてやり直す暇はない。そのままぬりかべのような自分で出かけた。品よくお化粧をするのはとても難しい。手数をかけないから薄化粧に見える、と言う訳ではない。むしろ薄化粧は、手間と努力の完成品なのだ。 皺やシミ、たるみのできた、すなわち凹凸が複雑な私の顔にファンデーションという、顔色を単色に整えるも
大抵の人は実年齢より自分は若々しいのではないかと錯覚している。 私もそうである。でも、違うのだ。年相応に他人は見ている。年相応ならまだ良い。 昨日、母の施設への振り込みで、委任状を持って郵便局を訪ねた。 そこで「入居されるのはお姉さんですか?」と聞かれた。 「違います、母です」 と答えつつ、え?どういうこと?姉って?と軽く混乱した。 そうか、私がそういう年に見えたのか。姉がもう施設に入る年齢だと。 なんだか悔しくて、でも仕方ない。そう見えてしまうのだから。 4月で60歳
母の家を整理し、我が家で使えそうな物や母が使っていたアクセサリー(もちろん母本人承諾のこと)を引き取った。 そこで思った。 いくら高額な物でも要らないものは要らないし、欲しいものは値段に関係なく欲しい、と。 父と母が使っていたベッド。まだまだ使える。モノもいい。でも、うちに入るスペースもない。私は布団がすきなのだ。毛皮のコート。私が着ると高利貸しのおばちゃん(あくまでイメージ)。壺。見せるための食器。両親には確かに似合っていたし、ふさわしいものであった。でも私にはちっとも似
お話の終わりの「おしまい」、意見の終了を示す「以上です」 昔話の「とっぴんぱらりのぷう」 ココが最後だよ、ごめんよ、聞いてくれてありがとう、 そんな気持ちをこめて言う言葉だ。 話でもなんでも、終わらせ方は難しい。話の得意ではない私は、緊張してだらだら喋ってしまい、どう切り上げていいかわからなくて、中途半端なところで「と、思っているのですが」なんて言って無理やりおしまいにする。おしまいがきりっとしないと話した内容もはたしてしっかり伝わったかしらと不安になる。そんなときなんか
断捨離なるものをしている。 あまりにも整理したり捨てるものが多くてここ数日かかりきりである。 もちろん仕事などと並行してるので、一日にできることが限られる。それもあってまだまだやることはあるのに正直もうばてていしまっている。ものが山積した部屋に、自分がいる。これではいけない。 片付け、いつからか流行のようになった。 かたをつける。 みんな何かにかたを付け新しい自分をみつけたいのだろう。 そうでなければこんなに流行らない。ただ掃除をする意味での断捨離ではなく、違う自分や本当
母の家を処分し、我が家を断捨離している。 しかしなんという埃だろう。 まあマメに掃除をしている訳ではないとはいえ埃と言うものは溜まるものだと思う。これだけの埃、とりもなおさず自分の上にも降っているのだ。そして積もっている。目には見えなくとも。 ってだからと言って掃除の回数を増やそうとは思わないけれど。
母の施設への入居に伴って家の整理をしている。今日はリサイクル業者が入り、運んでいってくれた。 母の家で使っていた2,3の家具を我が家で受け入れるため、我が家も断捨離をしている。うちの要らないものもやはり同じ業者が引き取ってくれた。 父が使っていたものすごく重い、両袖のついた机をベランダから降ろす。二人でだ。見ているだけではらはらした。母の家だけでトラックいっぱいである。お昼を挟んで軽トラで来て、うちの荷物を運んでくれた。学習机(子供たちは荷物置きにしか使われなかった)はどこ
私がパッチワークでバッグやタペストリーを作るとき、柄や色合わせは直感だ。ルールはない。わたしはこの作業が一番好きだ。次にチクチク手縫い、ミシンはその次。裁断はあまり好きではない。写真をupしたりするのはどうも苦手だ。 でも作るということ、そういうことを好きな人間であって良かったと思う。 つくづく手を見る。手って本当に活躍してくれるパーツですよね。
ちょっと前まで、お隣さんや組合の人が家を尋ねてきてお茶のみをするのはごくごく普通のことだった。その場が今はスーパーの無料休憩所に変わった。〇時間までにして下さいとか長い時間席を占めないでください、とか書いてはあるが、守っている風には見えない。楽しそうに半日をそこで過ごしている(ように見える)。時々おじいちゃんも混じっている。 私はこの方たち、ちょっと前までは、なんとなく家に居ずらくてかわいそう、とどこかで思っていた。 しかし今は違う。こうしてスーパーまで出て来られるのは、元
「痩せたんじゃない」 確かにちょっとばかり痩せた。痩せてしばらくたつのに言われたのは2度目だ。 こういう褒め言葉って案外かけて貰えない。夫は気づかないから言わないし、女友達はなかなか人を(ことに女友達を)褒めない。 誉め言葉を瞬時に言える練習をしたい。。ぱっと相手を見て、「今日の髪型素敵」「あなたって面白い」「手が綺麗ね、爪の色も」「バッグの色、流行色ね」こういう言葉って使い慣れ、が必要だと思う。使い慣れてないと、まず出ない。 「痩せたんじゃない?」と言ってくれた人に、上
誰かのことを好き、と思う。なんとなくその人の事、全部が好きみたいに思っているけど、そりゃ若い時の恋愛はいざ知らず、大抵はそんな訳はない。友達でも夫でも。 ちょっと相手のことを分析してみる。 この人の、話の面白さが好き。お洒落なところも。 この人は80%くらい好き。 別のある人は、優しくて世話好きなところが好き。話もよく聞いてくれる。 この人は70%。 キライなあの人は20%好き。それでも全くキライって訳ではなくて、私にない良さがある。例えば歌が上手い。私の好む感覚とは違
私は悪目立ちをするらしい。 昔から、分からないことはすぐ人に聞いてしまう。意見を言ってしまう。顔に出てしまう。それが周りの人にとってカチンとくる(らしい)。年をとったらそこに図々しさも加わってしまい、あの人ちょっとね、になっている(ような気がする)。 打開策はなかなか見つからない。だって性格なんだもの。 しかし、最近は、人の話をまず聞こうと思う。
ああああと吾の代わりに後悔の声を上げたる夕べのカラス 出来の良い子ばかりでは無しプランターに並ぶパンジー等しく水やる 今年になって初めて草むしりをした。今日は夕方も気温が高く草も勢いが出始めたところだ。ちょっとやってご近所さんに会ってついつい長話。 ご近所さんとの、他愛もないおしゃべりに豊かな情報が隠れている。子育ての時は、良い塾や安い店、今は施設の内輪話。いずれも結構知って良かったというものが多い。 今日は実家の処分の仕方について。
何にもしないのに一日が過ぎてしまった。そういう日がある。それが今日だ。 昨日書いた「明日はこれとこれと、」と予定を書き込んだメモがある。 ひとつはやった。 気が付いたら営業時間が過ぎてかけられなかった電話。 娘に送る宅急便の梱包もしていない。本当は今日送るはずだった。 昼寝は2時間したのに。 そもそも、午前中なにも出来なかった事が今日の敗因である。 午前中しか、頭がクリアではない。と言っても過言ではない私。 震災。朝からそのニュースでいっぱい。ごめんなさい、何もできな