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恥ずかしがり屋こそ波風を立てろ!

はじめに

New Jeansの「Super Shy」のMV、とっても可愛い。
YouTubeでは3.2億回再生を超えている(※2024/11/22時点)。
Super shyとは日本語で「(とても)恥ずかしがり屋」という意味。
この恥ずかしがり屋って、日本だとあんまり問題にされないどころか、むしろ純粋そうで可愛らしく思われがち。
でも恥ずかしがり屋で可愛がられるのは、せいぜい子どもか学生の間まで。
新卒で社会に出た恥ずかしがり屋のワタクシは、様々考えることがあり、、、

恥ずかしがり屋は調和のもと?

日本人って奥ゆかしさを大事にする国民性。
口数多くしゃべるよりも、普段黙っていて大事な時にひと言ピシッと決める方がクールで威厳がある。
恥ずかしがり屋は、自分から発言するのは恥ずかしいと思うタイプなので、誰かに話を振られるまでじっと相手を観察するのみ。
むやみにその場の空気をかき乱したりせず、どうすれば波を立てずに馴染めるかを慎重に見計らっていく。
これって大縄跳びと似てる。
次々とテンポよく縄をくぐっていく人たちに続いて、その流れを止めないように、何事もなかったかのように馴染んで輪の一部になっていく。
調和の美ってものがあるのかもしれない。
自己開示はプラスの意味でもマイナスの意味でも、何らかの波紋を生み出す。
波紋を受け取った相手がどのように解釈するかは分からないが、ストレスを与えることは避けられない。
だとすれば、恥ずかしがり屋で自己開示をあまりしない人は、波風を立てずに調和の道を目指しやすいのではないか。

波風はいずれ立つもの

では波風を立てることは悪いことなのか?
一度抽象的な言葉から具体化してみよう。
水の中に突っ立っていても、波風は立たない。
波風を立てるとは、自分の意志で行動を起こすことだ。
自分の考えを周囲に表明したり、行動によって表現することだ。
「これが好き、これが嫌い」「これをしたい、これはしたくない」
「私は○○だ」「あなたはなぜ○○なのか」
自己の開示には波風は付き物。
そして相手に心を開いてもらうには、やはり自己開示が先に必要だ。
自分と相手の心をオープンにして打ち解けるには、つまり本当の意味で``調和‘‘するためには、遅かれ早かれ波風を立てなければならないのだ。

わがままだと思われてもいいのだ!

奥ゆかしさの対極にある自己開示。
ともすればわがままとか、厚かましいとか思われがち。
でもそれでいいのだ。
なぜって、自分への関わり方を相手が調整してくれるようになるから。
例えば「私は週末に予定を詰め込みたいから、休み前の日の飲み会には行かない」と公言するとする。
わがままだなーと受け取られるかもしれない。
でも、言わなければ理解してはもらえない。
相手が、休み前なら時間を気にせず飲めるからと、気を利かせてくれていることもあるだろう。
そんな時に、断りきれず内心イヤイヤ行くのでは、自分にも相手にも可哀想だ。
最初から「休み前の飲み会には行かない」と言っておけば、別の日程で開催するときに誘いがあるかもしれないし、プライベートを邪魔しないように一歩踏みとどまってくれるだろう。
人は想像以上に柔軟性・対応力があるものだ。
相手のリアクションは相手に任せて、自分は自分の意志を優先させていればいい。
自己開示しないで、相手が察してくれないからといって悩むのは、もうやめにしよう。

自分の好きなものに熱中して恥ずかしがり屋を卒業しよう

ここまで自己開示という言葉を多用してきたが、この自己とは何なのか。
さすがに哲学や社会学を持ち出して語るつもりはないので、簡単に【自分の好き嫌い】とでも定義しておこう。

開示もなにも自己がないんじゃ波風は起こせない。
この自己を確立させるために、人生の時間と資源を費やせばいいんじゃないかな。
好きかもと思ったものに飛び込んでみて、その結果つまらなかったとしても大丈夫。
それこそが自己を知ること。
少なくとも相手の反応ばかりを気にしてビクビク恥ずかしがってるよりも有意義だ。

もし好きで熱中できるものを見つけられたら、それは最高に幸運なことだ。
人の目を気にせず、飛び込んでみるしかない!!
自分の人生を彩っていこう。

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