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【第17弾】やっぱり私はコミュ障である

あけましておめでとうございます
一応新年初めての投稿です

この夜の時間は何もすることがなく、(課題あるけどやる気出ないので)書こう書こうと溜めていたネタでnoteを書くことにしました、田村です。

島根はここ最近氷点下の日々が続いておりまして、風が強くて雪が降っております。ここ数日一歩たりとも家から外に出ずに過ごしておりましたが、さすがに明日は雪かきしなきゃですかね

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高卒の苦い体験から大学に入って

実は私、島根大学へはセンター試験C判定で合格したんです
(今年からセンターじゃなくて大学入学テストに変わるんですよね、なんて呼ばれるようになるんだろう?)

二次試験の勉強めっちゃ頑張って受かったので、その瞬間めちゃめちゃ自己肯定感が上がっていました。
「俺すごっ!」みたいな。若気の至りですね~

C判定で合格したのってどうやらすごいらしくて、先生から合格体験記を後輩に話してくれと頼まれました。

私の高校生活は、アニメに明け暮れ、授業中は全て寝て、夜はオールでアニメを見て、部活中はゲームをして過ごすという、堕落した1年生を過ごし、当然授業はわからないものばかりで、2年の前期までは成績は120位/240位くらい(平均とれるか少し下回るかくらい)だったわけで、でもそこでヤバいって思ったので夜は寝て、授業を受け始めると、そしたら実力テスト(じってって呼んでたなあ、懐かしい)で過去の範囲の復習をして、なぜか1、2年の範囲ができるようになるという(皆さんは真似しないでください)
なんやかんやあって3年の1年間で点数200点くらいあげて(それまでどんだけ低かったんやって話やけど笑)、けど当日センターでこけるっていう。

んで二次試験頑張って合格したので話をすることになったわけですが、こんな堕落した大学生に人前で(在校生500人)の前で話した経験なんてあるはずがなく、緊張しすぎてめまいして原稿読めないっていう。なんとか話して(何話したか覚えてない笑)、そこで私の高校生活は終わってしまった。

そして大学に入って、ボランティアを始める。
私の大学はボランティアを一定時間以上しなければ卒業できないことになっているので、大学のシステムを利用してひたすらボランティアに参加し、人に慣れた。
それなりに話すことには慣れた。(つもりでいる)

その後も1年後期は大人しかいないようなイベントに一人で出向いては学んで、そこにいる人と話をして、急にヒッチハイクして京都行ったり、月一で岡山帰ったり、とてもコミュ障には見られず、意識高い大学一年生だった(意識していたわけではなく楽しいからしてたんだけどね)


2年後期 とりとめもない話に必要性を感じなくなる

我ながらヤバいことを、かなり尖ったことを書いているなと思う。

しかし当時はこういったことをずっと思っていて、それは成長しなきゃとか、2年生だからみたいな焦りから来ていたのかもしれない。

イベントに行って、自己紹介して、大学の学部とか、サークルとか、趣味とか、そんな話ばかりするのがつまらなく感じるようになっていった。もっと深いところで話をしたいと思うようになっていた。
例えば、あなたは将来何を成し遂げたいのかとか、原体験は何かとか、教育の未来はどうなるだろうか、とかね。

それは私が学びに貪欲であることや、これまでたくさん学んできた自負もあったので一概に悪いことであるとは思っていない。
(イタイやつだったなーとは思っている笑)


話しかけるのが苦手→めんどう

最初は恥ずかしかったから、大学一年生のころはそうだった。
しかしそれはボランティアやイベントで解消されていった。だいぶ時間はかかったけどね。

そして2年次は、話しかけることの必要性を感じなくなった。
それは先述した、とりとめのない話をするのが嫌だったから。
話しかけられれば話すし、人から話しかけられて、そこで相手がとりとめのない話をするならこちらは聞かれたことだけに答える。面白い話をしてくれそうなら熱く議論を交わす。
そうでない場合、例えばこちらからは特に何も振らないので、会話に詰まると相手が焦って何か場をつなげようと話を振り始める、そうしたら「あ、もういいや」みたいな(笑)
言い換えれば沈黙で相手を試すようなことをしていたわけで。
(まじでクソみたいなことをしていました、当時イベントでお会いした方々、申し訳ございませんでした)

だからなのか、関係がないのかはわからないが、かなり奇抜な格好をするようになった。丸眼鏡、は大学1年からだけど、ストレートパーマをかけて髪が長い時期が半年ほどあり、ハーフアップみたいにして髪をあげていたり、茶色のハット被ってたり。
一度「話しかけにくい」と言われたことがある。同じ学部の同級生とかは(そもそも私とまともに話したことある人が少ない過ぎるので)そうだろうなと思っていたのだけど、イベント先で会った人にそう言われたので、かなりびっくりした。
個人的には私は道化キャラで、かなり変なことを言う人間なのだが(大衆的ではないという意味で変と言っている)、それは私が一人っ子で育ってることや、考え方がアメリカ人っぽかったりするからとかとか(この辺は長くなるので省略)なのだからなのだけど、天パっていう個性がまずあるので、そこに丸眼鏡をかけたらそりゃあ道化キャラに流れて行くわなとは思っている。なので「変な人いる、なんだあいつ?おもろ」みたいな感じで声を掛けられたりするのかなーとか思ってたり、思ってなかったり。
(まあ、変な奴いたらスルーしますよね、わかります笑)

そんなこんなで話しかけるの面倒だなーって思ってた時期はあった。
でも、まったくってわけではないですよ?
ちなみに面白そうな人には積極的に話しかけに行ってました(笑)


『考えるとはどういうことか』を読んで

本を読んだ感想はこちらに書いてあります

考えたことを語ることで自分の考えていることが明確になるということが書いてあった。
私はこれが得意なのだ。自分で何かを考え出す(0→1)は全くできないのだが、考えるための材料、情報をあちこちから仕入れてきて、それを自分の思っていることと照らし合わせてアップデートしていく、そして自分なりの答えの暫定解を作っていく、そんなことはイベントに参加するたび、人の話を聞くたびに、記事を読むたびに、本を読むたびにやって来た。なので考えいていることはそれなりに多く、考える力もそれなりについたので考えて話す、あるいは考えていることを話すことは得意だ。

対して、話の内容に意味がなく、ただ挨拶の延長線上で、ある種の作法やマナーのように話す(私がとりとめのない話と呼んでいたものはこれである)こともあるだろう。私はこれは苦手だ。
これは、正しいこと(あるいは正しいとされていること)大衆が、世間一般が言っていることを言うだけであり、そこに「自分」が存在していない。
例えば、会議の場で意見を求められるが、上司が求めているような模範的な返答をする(実際、意見を言えと言われて、疑問があってもそれを自分の意見として出すと上司が不機嫌になるような会社はあるだろう、私は絶対に入りたくない)とか、忖度するとかである。


正直これって学校でできていないと思っている。
教師が出す問いや、教科書の問いに答える、考えるだけであれば、
課題解決力や考えさせられる力が育つだけだろう。

そして、世の中でいわれるコミュニケーション能力はどちらだろうか

私は後者(話の内容に意味がなく、・・・)がそう呼ばれているの気がする。

そんなものがコミュニケーションならば、私はコミュニケーションが苦手な人、コミュ障で構わない。


最後に(誤解を招かないように)

ここまで胸糞悪い文章だと思って読んだ方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。私個人の意見ですのでご了承ください。

そして、コミュニケーション、大事だと思います!!
(なんやねん、さっきコテンパンに批判しとったやんって言われそう笑)
人付き合いをするのに第一声から「君は将来何を成し遂げたいのか」って言う人は正直キモイからな(おもろいけど)

さらに言うと、私の力量不足で、コミュニケーションから入って、途中から深い話にうまく誘いむというか、そういった話の流れに持っていくことは難しいだろうけど、できなくはないと思う。

そして今はというと、コミュニケーションな、外出てないからまったく取ってないわ(笑)

でもちゃんとコミュニケーションする気でいますよ。相変わらず苦手だし、面倒だとも思ってるかもしれないけど、コミュ障のまま、自分勝手に生きていくつもりはないので。敵作るし、そんなんじゃ生きていけない気もする。

けど、考えていることを話すってとっても大事なことだと思うし、
これができない人って結構多い気がする

って思うところです。

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