【第21弾】自由
もう5月!早いですね~
田村です。
4月末にこんな記事を読みました⇓
教育哲学者で熊本大学准教授の苫野一徳さんの書かれた記事でした。
私この方が大好きで、イベントに登壇されていたらよく話を聞きに行き、
著書も複数拝見し、記事を見かけると読んでしまいます。
苫野一徳先生は「自由の相互承認」ということを言われていて、
タイトルにもありますが、今日は「自由」についてnoteを書きます。
相変わらず私の頭の中がとろけでているので好きに受け取ってください。
「自由の相互承認」とは?
まずは前提として記事の中で出てくる、苫野一徳さんの言われている「自由の相互承認」の解説・・・
これは添付したnote見てくれた方が早いので省略(笑)
私の理念「自由」
まず「自由」ということを考え始めたのは休学したことがきっかけ。
その話はこのnoteに書いた
「自由↔責任」
ってことがキーワード。
自分の人生なのだから自由にすればいい。ただ、そこには責任が伴う。
4年生大学に行って、3年くらいから就活を始めて、4年で内定をもらって社会に出ていく。そんな「当たり前」のレールから私は敢えて外れる経験をした。
だから、授業も遅れるし、就活も卒業も不規則になった。そのあたりのことは承知したうえで、かつ後で取り戻さなくてはならない。
それができるならば自由に生きればいいと思う。
それから、休学した理由も説明できなきゃだめだね。
それから次の年、大学3年の春、「自由」というのは「自らに由る」ことなのだと言うことを思い始めた。
というか、「自律」という言葉が私の中ですごく大事な価値観として芽生えてきた時期だった。
そのころに、たまたまFounding Baseという地域系企業(私はこの会社の大ファンなのだけど)のmissionを見て驚いた。
「自由をUpdateする」
と掲げられており、「自由=自らに由る」だと解説もされていた。
それだ!
それ以来私の中で「自由」という言葉は「自律」に近い意味の言葉に変わった。かつ、私の大事な価値観に「自由」が常に上位にある。
自分の人生なのだから「自由」(=自らに由る)に生きるのが当たり前
誰も自分の人生に責任を取ってくれるわけではない
だからこそ自分の人生を自由に生きていくんだ
そんなことを思って生きている。
一方で、
こんな記事も書いた(笑)
自由に生きているのか?となる方もいらっしゃるだろう。
完全に自由(=自らに由る)で生きている人がいたらどう思います?
自己中 ですよね(笑)
私はそうでない、、と思ってます(わからん、他の人が私をどう思っているのかはわからんけど)
それがなんでかってのはまた次の記事で書こうかな~
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