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【第30弾】子どもとの関わり観②

今年度の私が大学で主にやっていたことは教育実習である。

本実習と呼ばれる実習が私は今年度あった。俗にいう教育実習である。

普段雲南に住んでいる私は、松江にいる明日までにそのレポートを書いてしまわなければならないのだが、その時間が無くて、やばいやばいと焦っている田村です。こんなnoteなんか書くなって?

今は授業中。(授業受けろって?ちゃんと聞いてます)



以前、子どもとの関わり観についてnoteを書いた

こちら


教育実習を終え、その事後指導も終えたわけであるが、

その内省項目の中で「児童生徒理解」というものがある。

「子どもとの関わり」を何度も話すことがあった。

教員にはならない私であるが、教育実習の成果の1つは、私の得意な児童生徒との関わり方を確立できたことである。


子どもとの関わり方(生活)

私は”待つ”関わり方が得意である。

自分から児童生徒に関わりに行くこともあるが、基本的には待ちのスタンス。

それゆえに児童生徒と仲良くなりすぎることはなく、実習で教師として関わるスタンスとしては正解だろうか。もちろん、だからといって教師らしい指導ができたかといわれれば、それは難しい。というかできていない。


子どもとの関わり方(授業)

これも、捉え方にはよりそうであるが、”待つ”関わり方ができた。

中学校でしか授業をしなかったが、数学の授業実践を4回行った。

生徒に問いかけて、返ってきた返答をベースに授業を組み立てていく、生徒の声で授業を作っていく、そんな授業の作り方が得意だった。

それゆえに生徒とのやり取りをして、欲しい答えを引き出しつつ、生徒の返答を尊重する。そんなことに力を入れていた。


なぜ”待つ”関わりをするのか?

1つに、私が大勢と関わるより、1対1、または1対数人で児童生徒と関わってきた経験がある。

子どもを子ども扱いするのは嫌いで、1人の人間として関わることは意識しつつ、一方で、彼らなりの世界はあるわけで、それを壊して邪魔することはしたくない。

もちろん、彼らが遊ぼうと言えば一緒に遊ぶし、時と場合によっては干渉することもある。大人から見て危険だと思ったときには口や手を出す。

学校外での関りが多かったので、不適応な行動、不適切な行動と呼ばれる行動は”ない”わけだし、基本的にどんな行動でも許される。他人の権利を損害していない限りは。

そんな環境下で児童と関わっていたので、学校現場においても同じように関わろうとしていたのだ。


私のVisionや理念との関係

こちらのnoteで”自由”について書いた。

私のVisionは「誰もが”自由”になれる社会」である。

理念として、私も”自由”であることを掲げている。

子どもが”自由”であってほしいので、つまり、自らで行動を決めて、その通り行動をしてほしいので、私はそれを”待つ”姿勢をとっている。

そうは言っても、
学校現場では意志をもって”自由”に生きている、行動できる児童生徒なんていない、児童生徒にそうして欲しければ、そのための種をまき、支援する必要がある、と言われているかもしれない。

それは学校に入って押さえつけられているからであって、未就学の幼児や、学校外の児童なんかと遊んでいると、彼らは自らによって行動を選択していることが見て取れる。そのことを意識しているかどうかはさておき。

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