【第16弾】「やりたいことをやればいい」に苦しむ人もいるだろう
岡山に帰ってからは堕落した生活を送っている。
これまで休めなかったぶん、のんびりと過ごしている。
岡山は暖かい。
多くの人が今年の振り返りを書いているのを横目に、なかなか記事を書き出せないでいた。
自分の中でまだ折り合いがついてないからと、考えなければならないからと、しかしやってみなければわからないと、二面の私が私の中でささやく。
目の前の布団は暖かそうで、そちらに意識を持っていかれる。随分寝ていた。
なんだこれ?
慣れないことはするものではないな(笑)
今年の振り返りのようなことは、いくつかのクローズドコミュニティの中で何度か行った。正直、なんとなく今年の振り返りは終わっている。
今年の前期は学びなおしのためにオンラインイベントに参加していた。
夏休みは大学のプログラムで産学連携のインターン(?)のようなものをさせていただいた。
後期は教育NPOでのインターンと、ベンチャー企業でインターンをさせていただいていた。
前期は学び、後期にかけて実践する、せわしなく動きまくった一年だったのではないか(皮肉なことにまったく家からは出ていないが)
ずっと外に矢印が向いていたため、自分を顧みる機会は少なかったように思う。
最近ずっと考えていたこと、それが今年一番私にとってホットトピックだったので今年の振り返りとして示そうと思う。
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やりたいことが見つからない大学前半
大学1、2年は正直かなり教育(に限らず)イベントに参加させてもらった。その中で多様な教育のあり方を知った。どれも面白く、大変いい取り組みであるが、一方で自分はそのどれもをやりたいとは思わなかった。思えなかった。
誤解なきよう言っておくが、どれも素晴らしい取り組みで、非常に感動するものばかりだ、ただ私がそのような仕事を、教育をしているイメージが一切わかないと言いいたいわけだ。
正直かなり苦しんだ。将来の進む方向を見つけるためにイベントに行っていたわけではないが、その気持ちはイベントに行くたびに大きくなる。私は何がしたくて、何なら”やりたい”と思うのだろうと。
誰かのやりたいをやりたがった
そんなやりたいことが見つからない私が無意識的に行っていた言動がこれだ。これは最近になって考えた末わかってきたこと。
やりたいことをやっている人に憧れて、その人がやっていることを自分もやりたいと思う。これには理由が2つあると思われる。
・やりたいことがあってキラキラしている人にインスピレーションを受けて活発になっている
・何かをやっている自分、やりたいことをやっている自分に焦がれている
私は憧れ気質で、いろんな大人に憧れる。あの人のこういう部分素敵だな、ああいったことができるようになりたいな・・・たくさんある。
前者の理由も正しいし、後者の理由が当てはまる自分がいる。
やりたいことではなくできることで
大学2年までやりたいことがわからず、大学3年は実践の年にしようと思っていたところにコロナ。
やりたいこととか一旦考えないようにして、ひたすら学ぶことに没頭した。まだ見ぬ教育を追い求めて、昨年東京で得たつながりを基にイベントに参加した。
夏休みも後期も、忙しく何かしていないと「やりたいこと」を考えなければならないからと、現実を見たくないからと考えることを辞め、行動していたのだろうと、今冷静に分析をしてみる。
そんな最中、後期のベンチャー企業でのインターンはUXデザインという分野を扱った。UX=User Experienceの略であるが、Userの体験をデザインすることがUXデザインである(全然解説していない(笑)気になる人はググってください)
UXデザインってのは定量データの分析を行うわけだ。
そして私は大学で数学を専攻している。大学三年で復学するにあたり、重視していたのが数学だった。専攻しているこの分野を極めてみようと思って復学したところがある。
教育にエビデンスが足りないという話は私の大好きな著書『「学力」の経済学』の本を読んでから意識をしていた。
この辺りがつながり始めたのが9月か10月。
私は何が”やりたい”かはわからないから、
私が”できる”ことで、社会に役立つことを仕事にしよう
教育×データで仕事をしよう
”やりたいこと”と”できること”
さて、そうやって”やりたいこと”ではなく”できること”で将来の夢を見出したわけだが、そこに迷いはあるわけで。
(ここで夢と書いたのは「夢」は自分がかなえたいことで、「志」は社会の役に立つことと分けているから。教育×データは人の役に立つことではあるが、”やりたいこと”を見つけようとして見出した暫定解がこれなので、あえて「夢」と書いている)
「教育」って言葉は難しいもので、教育は分野でもあり、「平和」のような広い概念でもある。
教育は手段ではないものの、教育を通じて自分が何をしたいのか、教育者になりたいのか、それとも教育に携わっていたいだけなのか。
教育者であるならば、教育を通じて何を成し遂げたいのか、Visionのようなことだろうか、少なくともdoingよりbeingのようなものを持っておく必要がある。
そういった想いがない教育”者”には正直なりたくない。
・私が教育×データという”できること”で夢を見出した中に、”やりたいこと”を後から乗せるという順番でいいのだろうか
・この夢にVisionを後から乗せて、見出していいのだろうか
・やりたいこと(Vision)⇒できること(Mission)というのが正しい順番であろう
こんなことを思っているわけだ。
このことは、かなり多くの皆様にお話聞いていただいて
(質問にお答えいただいた皆様、話聞いてくださった皆様ありがとうございました)
自分の中でゆっくり暫定解を見つけていこうと、悩み続けようと思っている。
そして考えてばかりもいられないので、何かしら行動にも起こさなきゃなと思っている。
やりたいことで生きる という世の風潮
いいんじゃないでしょうか?できない人もいるだろうけどね。
私はわりとやりたいようにやっている。けどやりたいことだけで生きていけるとも思っていない。
やりたいことだけやって社会が回るとは到底思えない。
やりたくはないけど、誰かがやらなければならない仕事というのはたくさんあるだろう。
私はまだ社会に出ていないので、何がわかるのかと言われることもあるだろうが、
・やりたいこと (=will)←アイデンティティ
・できること (=can)←スキルアップ
・求められていること (=must)←緊急度高い
この三つで仕事をしていくと思うわけだ。
やりたいことがないなら、見つけられないなら、世の中で求められていて自分にできる仕事をする生き方も素敵だと思う。
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なんだか言葉が出てこず、書きたいことが全て書けたわけではないのだが、そして書くのかどうかとか、いろいろと迷いつつ記事を書いた。
今までnoteは、書こうと思った時に書いて、数時間あれば書いてしまう。
この記事は3日くらいかけて書いた。
書きたいことまだあるなー、けど最近休みで頭回ってないので文章を推敲とかできないので、後から書き足すかも!
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最後に(形式的な挨拶です)
2020年もあっというまでした。
お世話になった皆さま、新しくお会いした皆さま、ありがとうございました。
今年は家から全く出ず、繋がりある皆様と関りが薄くなっていた一年だったなあと思いますので、なので皆さん来年もお会いしましょう!岡山にも頻繁に帰ってきますので!
これからもよろしくお願いします。
それでは、よいお年を!!!
なんとか2020年内に書けて良かった~
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