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【第23弾】オーガナイザー&giverとしての生き方

このnoteを書いたのは5/10の朝7時のこと。
私がこんな朝早くに起きているわけがなく、昨日からオールしている。
おかげで貯まっていたタスクは今日中に消化できそう!!
でも明日からまた忙しそうだし、数学とゼミもつらい田村です。



今回このたむとろnoteを読むにあたって、まず読んで欲しいnoteがある。

このnoteに出会ったのは2020年10月のこと。

「こんな生き方をしているじゃん」という衝撃を受けた。

それまで自分のこんな生き方、特質を考えたことなんて全くなかった。


オーガナイジング

私が進んでやっていること

・zoomのリンク作成

・mtgのリマインド

・議事録を取る → 共有

・思ったことは口に出す(嫌な役を買って出る)

・ファーストペンギン

全部が全部毎回できるわけではないが、ざっと思いつくものでこのくらい。対面のmtgだとまた違うこともあるのだろうが、何せオンラインばかり。

羅列したものはビジネスっぽいことだけである。
日常生活で挙げるならばキリがない。

→そう考えるとお母さんはオーガナイザーであることが多い気がする。
「名前が付いていない家事」ってたくさんあって(例えば電気の消し忘れ、トイレットペーパーの芯を変える、ひっくり返った靴下を表にする、など)しなければならないこともあるけど、その中に「気遣い」としてやっていることは多くて、それは女性の方が得意な気がする。
(男が働いて女は家に的な話ではない&偏見かもしれないです、、、)


また、これらのオーガナイジングを意識的に行っているか、と言えば、
答えは微妙である

と言うのも、これまで日常でもビジネスっぽいことでもオーガナイジングは行っていた(当然そんな言葉は知らずに)=無意識

ただ、先述したnoteを読んでからはこれまでに行っていたこと+αで意識的に行うようになった。

無意識的にオーガナイザーではあるが、やっていることがオーガナイジングであることは意識している、ということだろうか。表現が難しい。


さらに、ではなぜ私はオーガナイザーになったのだろうか?
いつからオーガナイザーなのだろうか?

これらに関しては大学生になってからだ、という気がする。

私は今、祖父母の家で暮らしているのだが、(その話はこのnoteに書いた)
昼食と夕食の担当は私ということになっている。
(もちろん、それ以外の家事は祖母に任せっきりなので負担の割合は段違いなのだけど)
そして祖父は全く家事をしない人だ。私は割合は少ないとはいえ、家事をするようになり、料理以外にもそれこそ「名前のない家事」もすることがある。(ちなみに家事は全般できる&好きだ/専業主夫になりたい)

私が炊事担当になったのは大学1年の頃からで、そのころから私はオーガナイザーになっていたような気がする。

実家にいた時より家庭での役割が大きくなっていること、実家より共同生活感が現われていることが要因なのではないだろうか。

また、後述するが、私は元々giverなことも関係しているのかもしれない。


私はHSPなのか?

最近よく聞く言葉だろう。High Sensitive PersonでHSPである。

詳しくは調べてもらえばいい。

私はHSPかどうかわからない。というか、正直どちらでもいい。

HSP診断というものを受けたことはないが、もしかしたらHSPなのかもしれないし、もしかしたらそうでないかもしれない。

というか、正しくはHSPと共通する要素は持っているけど、完全にHSPと思われるような要素を持っているわけではないのだろう
(まあだいたいの人間がそうであろうが)

実際よく気づくし、昔から情報はたくさん取り入れていた。
祖母に褒められたことがある。未だに覚えているそうだが、あるエピソードを話してくれたことがある。
祖母「車に乗っている時、さっきの看板は○○だったとか、さっきの車は○○だったとか、話してくれた。一瞬目に入っただけなのによくそんなに周りのものを覚えているものだ」
なお、私はそんなこと覚えていない(笑)

ただ、そんな情報をたくさん取り入れることに対して、気が付くことに対して「つらい」とか「苦しい」とか思ったことはないのだ。

なので私がHSPであろうと無かろうとどちらでもいい。

※これはあくまで私の見解です。
実際に苦しんでおられる方がいるだろうことは承知の上です。
また、HSPだと診断されることで少しは心が楽になる方もいるそうです。


giver

giver matcher takerの3種類に分けるならば、matcherが一番多いらしい。
そうだろうな。

私は自分がgiverだと思っている。

これは先日書いたこのnoteと相反するように思えるが、実はそうではない。

たむとろnoteにも何度か書いたが、私は人を嫌いになったことがなく、言うなれば「無条件の愛」を振りまく。誰も嫌いにならないし、誰もが好きだ。他人に対しては母性をもって接する。
(逆に自分に対しては父性を持っているとメタ認知している)

このnote「たむのあたまとろけだし」を書いているのも、私の思考が使えるなら使って欲しい、私の思考で参考になるものがあれば好きに使って欲しいという考えの元始めたものだ。(その話はこちら

私は自分がフリー素材だと思っている。
個人情報も(もちろん限界はあるけど)(そもそも情報とは連絡するためのものでるはずという考え方のもと)差し出すし、顔写真も(悪用しないなら)どうぞ出してもらって大丈夫ですし、(今は学生の身なのでこんなことが言えるだけかもしれないが)私の発言をどう使っていただいてもいい。

私にできることがあれば協力するし、協力できることがあれば協力させて欲しい。(可能な限り)


では、私がなぜそんな思考に成れたのか?
いつからそんな思考なのか?

無条件の愛とたむとろnoteの考え方は幼少期からであるが、
意識し始めたのは、思考が伴ったのは大学1年くらいからだろうか。

コミュ障を克服し、イベントに多く参加してたくさんの人と話していた私は自信に満ちていた。(その話はこちら

たくさんの人と関わるのは楽しかったし、多くの人から多くのものをいただいた。それは価値観だったり、考え方だったり、知識だったり、言葉だったり、経験だったり様々である。
ご縁」って大事なのだと思わしてくれて、人と関わることは楽しいと思わしてくれた。今度は私が恩を返す(送る)番だ、とそう思った。

また、自分は他人からできているのだから、自分を大切にするのならば、自分を形成してくれている他人も大切にするべきだ。
この考え方があるから、「自分が大事」という考え方とは相反しないのだ。


最後に

オーガナイザーとかgiverとか、正直ちゃんと調べたり勉強したり、検査とか診断とかしたわけではないので、私が勝手にそう思っているだけである。

ただ、私はオーガナイザーであり続けたいし、giverでありたい

私はこのあり方で人と関わって行きたい。流行りの言葉で言うのならリーダーシップを発揮するということだ。

さらに最近とても面白いTEDを見たので、最後に紹介する。

組織心理学者のアダムグラントによるTED。もう4年も前の内容であるが。giverは組織をよくするらしい。


「自分」という感覚が強く、ある種自己中で自分に酔っていた私が、
組織にためにgiver(あるいはオーガナイザー)としての役割を担いたいと思うようになった。
人との縁って素晴らしいものだ。

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