【第39弾】強さとは
仕事に忙殺され、休みの日は消費的な趣味で脳を喜ばせていた昨年度中旬から今年度にかけてとは違い、最近は生産的な趣味で体を喜ばせている田村です。
うわー書きながら思ったけど、この話もnoteに書きたい笑笑
さて、久しぶりのちゃんと休みで、今日は作業デーと決めたので、脳内で温めておいたnoteを書こうと思う。
きっかけ
先日、東京のクルミドコーヒーというカフェを舞台に書かれた『ゆっくり、いそげ』という本を読んだ。
読書日記を書いたので読んでほしい。
(書いてから2週間以上が経つが、我ながらいい日記だと思う笑)
さて、読書日記内にも書いたが、この本を読むきっかけになった出来事が『たむとろ【第25回】憧れ』の中に書いてあった。
そのnoteも見てほしい。
われながら苦しんで頭と心でもやもやしたものを言語化しているんだなあと当時の私を抱きしめたくなる。
猟奇的で荒い粗い文章なのだけど、私にはすごく沁みる。
先述した読書日記を書くためにこのnoteを読み返したときに、
なんだか当時と考えていることが変わっている気がして、それはそうなのだけど、この時書いたnoteをアップデートしたものを書こうと思う。
強い田村
私は強い。強かった。
メンタル最強だと思っていた。鋼のメンタルで、嫌なことがあっても寝たら忘れた。
先輩や大人たち、すごい人たちに”追いつきたい”または”追い越したい”ではなく、”同じになりたい”と思ったのだ。
それゆえに、知らないことも知ってるふりする癖があった。
これは同僚に言われて気づいた。
大学時代にそれなりにいろんな活動をしていた。
有象無象の大学生とは違うと思っていた。
たくさんの活動が私を強くした。私を強くさせてしまった。
なんでもできると思いたかった。
なんでもできる自分になりたかった、なんでもできる自分でいたかった。
強がっている自分がいただけだった。
正直しんどかった。
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新潟にきて私は少しだけ変われた。
それには2つの理由があると思っていて、
1つはハウスマスターという仕事
大学は教育学部で、学外でも「教育」についてたくさん学んだ、考えた。
でも現場で高校生と密に、かつ連続的に接するのは初めてだった。
知識としてしんどい子がいることは知っていた。いて当然だと思っていた。
実際に関わってみると全然違った。
どうしたらいいのかわからない。
なんて声をかけよう?なんて言ったらいいんだ?私は何をしてあげたらいいんだろう?これでいいのか?
強い田村ではそのこのために何もしてあげられない。
強い田村は何の役にも立てなかった。
もがいた。答えがわからないのはいつものこと。答えなんてないのはいつものこと。答えがわからないなら試してみるしかない。続けるしかない。今目の前にいる子に全身全霊で向き合う、それだけ。
しんどい子がいた。かなり休みがちになった子だった。
その子にハウスマスターとしての想いと個人としての想いを伝えた。
しばらくして学校に行き始めた。
私の言葉がよかったのかどうかはわからない。そんなにうぬぼれたことは言えない。だけど、ただただその子が学校に行けただけでうれしかった。
「当たり前」は人によって違うと言うけれど、頭ではわかっていてもそれを受け入れることは難しい。
”ありがとう”という言葉は「有り難い」ことに由来する。
当たり前でないこと=有り難いことだから感謝するのだ。
「学校だけがすべてではない」「学力だけがすべてではない」
それは教育を学ぶ上で、考える上で幾度となく口に出し、そう思って生きてきた。それは今も思っている。
でもその言葉を、今関わっている高校生たち全員に対して言えるかと言われたらとても言えない。
学校に行くことすら当たり前ではない子もいるんだ、生きているだけで偉いんだって、当たり前が本当の意味で多様なことを身をもって体験したから。
だから少しだけ、少しだけかもしれないけど優しくなれた気がする。
2つ目はプライベートの変化
これはあんまり人に言ってないのだけど、最近少しだけ友達に話したりした。
ここでは長くなるのと、恥ずかしいので省略する。
聞きたい方は直接聞きに来てくださいな。
強さとは
弱くなったことを自分でも痛感する。
寮生からも言われる。
昨日も言われた。
たむさん、去年だったら人の心読むとか絶対できなかったですよね!
俺もそう思う(笑)
今なら少しだけ自分の弱さを認められる。
弱さを認められて受け入れられていることが強さなのだと思える。
変わったな~としみじみ。
本当は「憧れ」「何者かになりたい」って話まで含めてnoteにしたかったのだけど、めっちゃ長くなりそうだったのでここまでにしよっと。
また数本note書きますのでお楽しみに~~
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