【第19弾】愛
sake日記ばかり更新していたので久しぶりの”たむとろ”
新年度になりました。皆様の新天地でのご活躍をお祈りしています。
私も島根大学4年になりました。
昨年の振り返りがまだ終わってなくて、昨日は去年書いた読書日記もどきを読み返していたのだが、その中で、「愛」についてnoteを書くと言って書いていなかったことを思い出した。
(そのブログ⇓)
自己愛
あなたは自分のことが好きですか?
自信をもって「はい」と答えられる方は少ないんだろうと思う。
私は自分こと好きです。
昔は嫌いでした。
中学生の頃から天パの自分が嫌でした。そのコンプレックスは高校まで続きました。
大学に入ってから「自信」を持てるようになったので自分が好きになりました。
自信
「自信」ってなんでしょうか?
自己肯定感、アイデンティティなどと言い換えてもいいかもしれません。
読んで字のごとく「自分を信じること」
自分を信じることができている人は「自信がある」のでしょう。
自信を付ける方法は2つあるそうです
・成功体験(大きければ大きいほど自信は長く持ち続けられます)
・人に認められること
私は大学に入ってコミュ障を克服しました(?)
(詳しい話はこちら/自信を持てるようになったのもこれが理由です)
それからも小さいながら成功体験を積み重ね、また思考を変容させることで自信を持てるようになっていきました。
今日のnoteでは私の思考がご紹介できると思います。
(”たむとろ”は元々そういうコンセプトで始めているし)
「自分」という意識
これは子どものころからずっと持っていた。
自分と他人は違うのだ。だから人に嫉妬するという感覚があまりない。
”プライド” と ”自尊心” は違う
「自尊心が傷ついた」という表現あるけど、 "自尊心" は「自分を自分だと思う」ということ(≒自信)だから、傷つかない。
対して、「プライドが傷つく」ことはあるだろう。 ”プライド” というのは「他人を見て自分を定義したもの」だから、もっとすごい人が現れたり、否定されると傷つく。ちなみに私はプライドがあまりない。
そうは言っても中高生時代に感じていた私のコンプレックスは、他人とは違う自分を恥じていたことであると思われるかもしれないが、
私は、他人と自分を比較していたというより、今の自分と理想の自分を比較していた。
いじめられて、髪のことをいじられて、悔しくて泣いた。(よく泣く子でした)
言い返せない自分が悔しくて、殴り返すことすらできない自分が悔しくて、気にしなければいいものをその都度落ち込んでしまう自分が悔しくて、だから泣いていた。
悲しかったのは、例えば親が自分がいじめられていることを知ったらどう思うかと考えてしまうからだ。
今思えば弱い自分が嫌だったのだろう。
人を嫌いにならない
前述した「自分という意識」の最たるものはこれ。
私は人を嫌いになったことがない。ならない。
いじめられた過去もあるし、いじられキャラだったし、暴力を振るわれることもあった。それでもその相手を嫌いになったことはない。
誰しもにはいいところも悪いところもあって、しかも良いか悪いかなんて人によって捉え方が変わるから、メリットもデメリットであり、デメリットもメリットなんだ。
そんなことを子どもの内から気が付いていた。
人の良い所も悪い所もわかるので、自分をいじめるあの子もこんな良い所があるから、だからいじめられるのは嫌だけど、”あの子”を嫌いになったことはなかった。
友達が悪い所を出しているときは近づかなった。良い所を出しているときにだけ付き合うようにした。
すごく上手な立ち回りをしていたのだろう。大人びている。
私は人類を平等に好きになる。無条件の愛を振りまく。
(なんだか宗教みたい笑)
自分は他人からできている
これは大学に入ってから気が付いたことで、自分と他人が別って感覚と矛盾するように思えるけど、その2つは自分の中で共存している。
自分の考え方や喋り方や紡ぐ言葉など、すべては自分のこれまで会ってきたすべての人から少しずつ貰ったモノで構成されている。当たり前だ。
つまり自分は他人からできているのである。
自分が大切なら、その自分を作ってくれている他人も大切にしてあげてください。
家族、友達(他人)が大事なら、その人たちから作られている自分も大切にしてあげてください。
愛
私は自分が好きだし、人誰もが好きです。
よくできた人間だと言われることもあります。自分でもそう思います。
”愛” は本来無条件に与えられるものであるはずです。
条件が発生すればそれは ”取引” になります。
後天的にこのような考え方をするようになったものもあります。
しかし先天的なものもいくつかあって、それは親に愛を注がれて育ったからだと思います。
だから親にはすごく感謝している。だけど私を愛してくれたのは親だけではない。これまで出会ったすべての人に感謝しています。
あなたを愛してくれる人はたくさんいます。
後天的に気が付いたことは、たくさんの人からたくさんのものをいただいたから(それは考え方だったり、言葉だったり、時間だったり、様々)できたことです。
たくさん時間がかかりました。しかし、私にできたなら誰にでもできることだと思います。
もし今自分が生きにくいと思っているのであれば、自分が好きな人を思い浮かべてみてください。
自分が愛されている瞬間を思い浮かべてみてください。
少しずつでも自分が認められますように。
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