【第28弾】資本主義を超えて
ひっさしぶりの”たむとろ”の公開です。
私の頭の中をとろけだしていくというコンセプトで始めたこのnoteですが、私の考え方や、私に思想みたいなものはほとんど書いてしまった気がするので、もはや書くことがなi...
もとい、書くことが限られてきている今日この頃。
なのでその都度思ったことをつらつらと書いていく備忘録的な使い方をしようかと思っております。
今日は最近思っていることを書きます。
地方にいると資本主義を超えるのではないか?
キーワードは 消費から創造
【話題提起】地方と都会の違い
8/18 しごとバー神田「資本主義を超えないと」というイベントがあった。
そのイベントの中でゲストがおっしゃっていた。
確かに。
”お金”という共同主観的なものを絶対的なもの(=価値あるもの)として社会を回すことが”資本主義”なのであれば、
地方で日常的に生まれている価値は資本主義を超えたところにあるものが多い。
それは物々交換だったり、おせっかいだったり。
【補足】昔聞いたことがあること
と、言っていた人がいた。
なるほど、ディズニーランドや大型ショッピングモールはまさしく娯楽だ。
対して、仕事や学校が終わってから途中に寄る場所もなく、休日に遊ぶ場所もない地方では、家での自分の時間、または友達や家族との時間=それは趣味の時間だろう、が大切になってくる。
【都会の優位性】本『サピエンス全史』より
これは”資本主義”の世界において、幸せのためにいつの時代も変わらない考え方だろう。
ロマン主義の”できるだけたくさんの経験をする”=サービスを消費することであり、こちらも消費主義の原則から抜けていないものとなっている。
(経験をすべてお金に精算できるかは議論の余地が残されているが、、)
【地方の優位性】消費者から作り手へ
具体的に地方だとどう作り手になるのかという話をすることは難しいが、
少なくとも娯楽がない以上、趣味を楽しむか、
または娯楽の代わりとなることを見つけて、それを作ることで楽しんでいるのが地方であろう。
たとえば、畑をやってみたり、狩猟免許を取ってみたり、みんなで集まってご飯を食べたり、焚火をしたり。
【補足】
6/9 しごとバー神田「好きをいろんな角度からおもしろがらナイト」
というイベントがあり、そこで聞いた話
【実体験】作り手になることの楽しさ
私は現在”移動式ボードゲームカフェ”という事業を行っている。
ボードゲームが大好きで、2年前から収集を続けており、現在は50個ほど所持している。
コロナ禍ではやりのボードゲームであるが、私が今いる島根県にもボードゲームカフェがあるにはあるが行きにくかったこともあり、移動式のボードゲームカフェを始めた。
その事業を続けて2カ月が経とうとしているが、最近気付いた変化がある。
それは、以前はボードゲームを遊ぶことが楽しかったが、
最近は、ボードゲームを遊んでいる人を見ていることも面白くなっているのである。
さらに言えば、むしろボードゲームを遊んでいる人を見ているときの方が、私自身がボードゲームを遊んでいるときより面白い。
まさしく、消費による快楽⇒創造による快楽へと変化している。
【所感①】コロナ過でストレスを感じる人は”消費による楽しみ”しか知らないからそう感じているのではないだろうか?
地方にいても遊びに行けず苦しんでいる人はいるし、”娯楽”は都会の特権というわけではないが、
地方にいて、なおかつ”趣味”がたくさんある私としては、このコロナ禍でも十分に楽しんでいられている。
【所感②】ないものはない
島根県の北の海上、本土から30kmの場所にある日本海の島「隠岐の島」に行ったことがある人はいるだろうか?
私は島後にはまだ行っていないが、島前にはなんども訪れた。
その中の1つの島「中之島」にある海士町のスローガンは、
「ないものはない」である。
このスローガンに感動する大人たちを横目に、確かに面白いことを謳っているとは思いつつ、いまいち感動を味わえなかった私であるが、
最近このnoteに書いていることを考えているときに思い出し、やっと腹落ちした気がして、今さらながら感動している。
”ないものはない”には2つの解釈が可能だ
①何もないのだから諦めよう
②なんでもある(作り出せばいい)
この②はこのnoteの内容を一言で表したようである。
ないものはない
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