社会人になって感じた論理的思考の限界
こんにちは。
今日は,社会人になって感じた論理的思考の限界というテーマで,お送りできればと思います。
私は大学を卒業をしてもう10年以上たちます。その間,何箇所かの職場で働いてきました(職種もさまざまですが・・・)。その中で感じた論思考の限界とは・・・
1 論理的はかっこいい
大学生のころは,何気に論理的に物事を考えることのできる人を密かに憧れていました。物事を論理的に理詰めで,納得させるそんな社会人(コンサルや弁護士のような人たち)になって颯爽と街を歩きたいと思っていました。
結局のところ私にはそのような能力もなく,頭キレキレになることもなく今に至っていますが・・・。
2 論理と直感
では,論理的とは具体的にはなんでしょうか。論理的と対義語(?)の直感的とはなんでしょうか。
論理的・理性的:正しさや合理性を表し,英語で言うならサイエンス。自分の外側にある考え方や規範意識あるいは罪
直観的・感情的:美しさや楽しさを表し,英語言うならアート。自分の内側にある考え方や規範意識あるいは恥
対比して記述すると,何となくその違いが分かるように思います。
3 論理的思考の限界
では,論理的思考の限界とはどのようなものでしょうか。企業や政府が世間から非難される一つに,きちん資料やデータによって論理的な判断や事態予測をしたのか説明責任を求められるが,その説明に論理矛盾や論理破綻があるというものがあります。
しかしながら,裏を返せばきちんと論理的思考をもとに説明責任を果たせさえすればよいといった,責任放棄の理由づけに利用されることや論理上のシステムに適合するためにわかりやすさばかりを重視(数字・昇任を追いかけるような)ことになる可能性を秘めているということなのかもしれません。
4 With論理思考
結果としては私の能力不足もあって論理的思考だけで勝負できうるような仕事をしてこなかったのですが,逆に論理だけではない現実を見ることがまじかで見ることができてよかったと思っています。
論理的情報処理の限界,既存システムの変化にルールが追い付かないことは日々起きるのが現実の世界(特に対人の仕事をしていると論理よりも感情が優先されることなんてざらにあります)であり,その中で自分の判断で物事を進めていかなければなりません。
そのような判断は何も論理だけで決められるものではありませんが,最終的に自分の内側にある美学やモラル絶対にあり得ないオプションを排除(=直観・感情的に決めて)残りを論理的思考で取捨選択が一番効率的かつ効果的に判断ができてきたように思います。
つまり,論理的思考with直観・感情思考が一番実践的ではないかとおもっています。
今私はイベント企画をしておりますので,特に論理と直感入り乱れることが多々あります。今後もうまくその両輪と付き合いながら業務を進めていければと思っています。
今回参考にした本は,山口周さんの世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)でした。
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