農家の葛藤
十勝の田舎町で暮らしている。僕はきのこ農家だ。一時期は離農を考えていたが、今は再起を想いに描いている。とはいえ、強制退場もあるだろう。先立つものが無ければそうなる。故にアイデアを出しては潰す作業を続けている。
想像よりもしんどい。期待と絶望の繰り返しだからだ。ただ、それは過去にもやってきたこと。そのときは、ここまでしんどくもなかった。おそらく、アイデアを潰す順番が違ったのであろう。今までは夢のあるカードは潰さずに最後までとっておいたからだ。
今回は真逆の順番で臨んでいる。さっさと現実的なアイデアと向き合いたいからだ。おかげで手堅い案に取り組めている。とはいえ、手堅すぎて気持ちは少ししか乗らない。同時進行で進めている再就職先の方が魅力的に思えてしまう。困ったものだ。
行き着く先は単価である。これ以上の経費削減は危険だ。すでに現れた『手作り感』はマイナスに働きはじめている。このままでは価格は上げづらくなるだろう。すると経費を稼げないため、ますます『手作り感』は強く出る。負のスパイラル。ここから脱出するためにも、ここで単価を上げる必要があるわけだ。
手堅く単価を上げるのならば、相場のトップ層のものにすればいい。僕は自分の生産物に自信を持っている。トップ層の価格にしても後ろめたさはない。だが、それでは足りない。生産量の低さとワンオペが原因だろう。売れる物の総数が少ないのだ。それなら規模の拡大をすればいいのだが、その資金の回収には不安要素が多い。そもそも材料となる原木が足りていない。供給が続く保証もない。規模の拡大に躊躇してしまうわけだ。
それならば、相場の枠を超えた単価を設定する方が"まだ"現実的であろう。とはいえ、それにも躊躇してしまう。相場の価格とは、先人達の作り上げた失敗と成功の結晶だ。つまりは無闇に枠を飛び出しても、そこには失敗の海が広がっている。レッドオーシャンではないからといって、ブルーオーシャンなわけでもない。混沌とした死海がそこにはあるわけだ。
と言いつつ、僕は市場の外縁から一歩だけ踏み出た価格を付けることにした。市場価格を意識したわけではない。計算したらその価格になったというわけだ。ただ、この商品が仮に大ヒットしても、農家は続けられるが、豪邸はおろか普通の家も建たないであろう。気持ちも少ししか乗らないわけだ。
やはり、高値を付けるのは気が引ける。周りの目が気にならないと言えば嘘になるが、それだけではない。食料とはライフラインだ。その価格を上げることは公共性に反すると思ってしまう。おそらく、そう思うのは僕だけではないであろう。
仮に農家の描く理想価格をすべて実現すれば、いろいろと問題が起こると思う。中間マージンの話は置いといたとして、価格高騰による食糧難になるかもしれない。間違いなくエンゲル係数は上がる。農家の所得増加による消費拡大よりも、社会全体の消費の落ち込みの方が圧倒的に多いだろう。結局、景気が悪くなり、自分達の首を絞めることになりかねない。
やはり食料は安い方がいい。消費者としての僕もそう思っている。今の価格が維持されている裏側には補助金の存在もあるだろう。加えて、農家の大多数が65歳以上だ。年金も価格維持に貢献していると思う。その状況下で高値を付けるのは、やはり気が引けるのである。
とはいえ、僕の育てるきのこは食料品であるが、嗜好品の側面が強い。無くても困らないが、求める人は多くいる。その人に届けられればいい。きっと向こうも待っている。そのマッチングに市場価格はあまり関係ない。
結局は売り方なのだ。数字は目安にしかならない。高価格商品を売ることは難しいが、簡単なこともある。それだけで差別化ができるからだ。あとは機会を増やせばいい。低価格商品よりもだ。僕は農家になってそれを学んだ。淡々と続ける。売るということは、それだけのことなのである。
気持ちが乗らないという問題は、別件で対処しようとしている。付ける値段は高価格のさらに3倍だ。これはもう国内では無理。イメージが沸かない。故に海外に出てみようと思う。死海の向こうへ渡るわけだ。勝算はすこしあるが、限りなくゼロに近い。目標はひとつの売上を作ること。望むところだ。計画しただけで、いくぶん気持ちも乗るのである。