なにもかもが楽しくない
そこはブラックな職場だった。ブラックといえば「けしからん」で済むかもしれないが、その実態は違法である。"万引き"と同じだ。社会問題ではなく刑事上の問題なのである。
タイムカードは定時で押すことになっていた。デスクワークやミーティングはその後に行う。退社が夜遅くなることも珍しくない。むしろ定時で帰れる日は無かった。
全ては闇リーダーが構築したルールだ。異論を口にする者もいなかった。同僚の平均年齢は若い。皆20代前半だ。ここが社会人として初めての職場の者も多い。仕事とはこんなものだと思っているみたいだ。
だから不満は少ない。耐えることが自分に求められた職務だと。それが出来ない者は社会人失格で退職するしかない。そう思ってる者も多く、故に離職率が異常に高い現場となっていた。
闇リーダーとの個別面談があった。なにかやらかしたわけではない。定期的に開かれるものだ。もちろんサビ残。20時からのスタートとなった。しかしこれはチャンスだ。彼の思考パターンを知ることができる。警戒されないように尋問を行うのだ。
僕の欲しい情報は闇リーダーの地雷。怒りのポイントが分かれば思考パターンも想像しやすい。けれども慎重に進めなければ警戒もされてしまう。直球で聞いてはいけない。変化球を混ぜた方がいいだろう。
そもそも怒りの根源は期待の裏切りだ。何に期待しているのかが分かれば逆説的に怒りも想像できる。そんな期待は固定観念から生まれることが多い。この文脈でいえば「人として当たり前」という想いだ。それは経験の積み重ねで生まれるものだろう。特に失敗を乗り越えて得た成功体験からは、その想いも強くなるものだ。
つまりは武勇伝を聞き出せばいいのである。風が吹くだけで切れてしまいそうな細いロジックだが、今後の参考程度にはなるだろう。
闇リーダーは饒舌だった。武勇伝を自慢気に語ってくれた。聞いてもいないものまで話し始めたのである。おそらく僕の策略を予測してのことだろう。ブラック的なルールの正当性も語ってくれたのだ。ここでの僕は聞き役だ。彼を否定はしない。その代わり共感もしない。淡々と話を聞き出し理解を深めていった。
時間は過ぎていった。時計の針も残り2周で日付は変わってしまう。緊張の糸が切れたのか、終盤に来てやらかしてしまった。「主観ですけどね」。相槌のつもりだったが、彼の琴線にすこし触れてしまったようだ。だが闇リーダーも大人だ。急に怒鳴り散らかすことはしない。怒りを隠しながらも正当性のアピールに勤しんでいた。
主観で判断 → 悪いこと → 批判された
おそらく彼の中ではそう解釈したのだろう。もちろん僕に批判する意図はない。ただ共感していないスタンスが出てしまったのだ。言葉選びを間違えたのである。だがしかし収穫はあった。闇リーダーの地雷の1個を把握できたのである。面談が終わるまでには関係性の修復もできた。上出来である。
仕事は忙しさの極みではあるが、雑談部屋の居心地は良かった。そこは洗濯物係のテリトリー。惨めな作業部屋とされているが、その実態はレジスタンスの集会所であった。
一番に仲良くなった彼は堅実な男であった。唯一、この現場を楽しんでいる。かなりの古参だ。給料はすべて貯金しているらしい。金額を聞いたが驚いてしまった。そう、貯金君は変わっていた。いじられ役なのだが人をよく見ている。ブラックな労働環境だが、そこの空気を読むことすら楽しんでいた。故にいろいろと知っている。僕は彼にいろいろ教わったのである。
闇リーダーの過去、2トップの失態、いままでの事件事故。話的にはおもしろかった。当事者はシャレにならなかったであろう。個別面談で得た情報から闇リーダーの人格を推測していたが、その答え合わせもできた。概ね正解だった。僕と貯金君のそれぞれが謎と思っていたところも、お互いの情報を共有することで補完できた。ただ、どうすることもできない事実も浮き彫りとなった。
どうしたものか。気が付けば最近遊んでいないことにも気付く。ドライブはおろか写真も撮っていない。料理も疎かだ。とにかく仕事量が多い。なにもかもが楽しくないのである。
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