最後のチャンス
医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今の事業所は12ヶ所目。施設の立ち上げから関わっているが、今月から稼働しはじめている。とはいえ、まだまだ慣らし運転だ。疲れることも、時間に追われることもない。未だに勤務時間の大半を居室で過ごしている。
現場の定員は2名だ。つまり、僕の他にもう1人いる。同性、同年齢。彼は平凡な人だった。趣味は無い。実家暮らし。転勤回数は2回目。転職は1回しているらしい。仕事は普通。できる者でもなければ、できない者でもなかった。
そんな凡君との雑談はつまらなかった。基本的には何かに対する不平と不満。過去の栄光と思い出話。未来に対する話は無かった。話を合わせ辛いのである。
だがしかしだ、部下の雑談に寄り添うのも上司の務め。共感はできないが、否定はしないように心掛けた。彼の口癖は『ポンコツ』。なにかと前の事業所の"できない者"をそう呼ぶ。僕は焦った。その者と僕には共通点があったからだ。余計に絡みづらいのである。
凡君はプライドも高かった。もとい、すぐに崩れてしまいそうなプライドを守ることに無理をしていたと思う。不得意は誰にでもある。分からないことがあれば聞いてくれればいいし、頼ってくれてもいい。あやふやにして先送りしても解決にはならないのである。
正直に言うと、しんどい。凡君の空気に引っ張られる。やる気が出ない。出す者は愚かとも思ってしまう。僕は基本的には聞き役だ。相手に合わすタイプである。そしてここは2人現場。不穏な空気は避けたい。故に共通の価値観は凡君のそれとした。ちょっと失敗したのである。
凡君は悪くない。優しくもあり気遣いもできる人だ。そこへいくと僕は悪い人だったかもしれない。彼に嘘をつき続けたからだ。仕事のためとはいえ後ろめたい。かと言って僕が我を出しすぎるのもよくない。立場的にだ。これはもう、仕方ないのである。
突破口はULとの雑談の中にあった。どうやら人材が不足しているらしい。僕に片手間で研究補助もやってほしいが、施設管理も重要なので、それはお願いできないと。
僕は担当営業に連絡した。聞けば、ULのほしい人材は、ど素人でなければよくて、なにより熱量の高い人を希望している。僕には心あたりがあった。ひとつ前の事業所で一緒だった飛子さんだ。素人ではない。毎日、業務外で練習を積んでいた。熱量の高さは問題ないだろう。担当営業に彼女の異動を打診しておいたのである。
話はとんとん拍子に進んだ。飛子さんは二つ返事だったらしい。ULも喜んだ。凡君も若い女性の出現に頬は緩み気味。職場の空気も変わった。僕のしんどさも低減されたのである。
仕事場は3人体制となった。飛子さんは研究補助と施設管理の二刀流。故に僕らの仕事も覚えてもらうことになった。これは僕の策略である。もちろんオーナー側にもメリットはあるから実現したことだ。両方を知っている者がいると、なにかと便利なのである。
僕の策略はもう一つの点も突いていた。僕が居なくなっても、彼女が空いた穴を塞いでくれる。実のところ、退職を検討していた。誰にも言ってはいない。いろいろと考えることはあった。写真もそのうちの一つだ。このままでは『僕の思う最高の1枚』は撮れないだろう。僕も38歳だ。最後のチャンスだと思う。動くなら、責任の薄い仕事に就いている今だと思った。
アポをとった。飛行機のチケットも取った。宿の予約も取得済み。もちろんカメラも持っていく。2泊3日。仕事場には有休をとって旅行へ行くと言っておいた。
僕の写真は止まらないのである。