さすらわず、さまようひと
朝散歩をするために玄関を開ける。外はまだ暗い。外の温度を感じる。
空を見上げる。どんよりとした雲が立ち込めている。地面は濡れている。
鳥の短い鳴き声が合唱となって聞こえる。砂利の駐車場を通り道路に出る。
道路の反対側へを小走り横切る。車はほとんど走っていない。信号はあるが守らない。
臨機応変にいこう。車があきらかに通っていないのに、田舎の横断歩道で信号待ちをするほどオレは教育に洗脳されていない。それでも若干の後ろめたさを感じるのは、教育の呪いというしかない。
クソみたいなものでもそれが決まりごとなら、守るように小さい頃から教え込まれてきた。そんな呪いは精神の奥底で消えることはない。ことあるごとにいつも意識の中に染み出してきては、オレに気づかれないようにコントロールしようとする。
オレは抵抗する。決まりごとに対して小さな小さな抵抗を繰り返す。少なくとも心の中ではいつも世の中に抵抗している。どんなにすばらしい考えでも決まりごとになった途端に、オレの中の天邪鬼が騒ぎ出す。騙されるな、絶対はない、つねに疑え、逆を行け!と、自動的にそれは発動する。
矛盾を堂々とかかげ、言ってることはころころと変わり、やってることもころころと変わる。そう、さまよい人。さすらわず、さまよう。
たぶんオレにはさすらうことはできない呪いがかかっている。目的(意味)をどこかでずっと探している。なぜだかわからないが無意識に心のずっと深いところで。そしてそれをつねにいつもうっすらと感じてしまい、苦しむ。
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