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人生は瓶に貼られたラベル剥がしみたいなもの。
朝、キッチンでヤカンに水を入れガスにかけた。五徳に置かれたヤカンの下で、チチチチチと点火プラグから青色の火花が飛ぶ。ガスコンロに連動して自動的に換気扇が回り出す。オレは換気扇の音をうるさく感じるので、匂いや煙が出ない場合は換気扇をすぐに止める。換気扇の音は不快でしようがないのだ。
水をヤカンにたくさん入れているわけではないので、その場を離れるのも落ち着かず、ヤカンを見下ろす。オレは手持ち無沙汰になる。ちょうど流しに空き瓶があり、それには紙のラベルが貼られていたので、なんとなくそれを剥がすことにした。
きれいにぺろりと剥がれるタイプのラベルではなかったので、水に濡らしながら地道に爪でこそぎ取っていた。お湯が沸くまでの暇つぶしである。
その時ふと思った。
もしかしたら、「人生は死ぬまでの暇つぶし」っていうけれど、その暇つぶしはお湯が沸くまでの間、瓶に張り付いた紙ラベルを爪で引っ掻いている行為と大して変わらないのかもしれないと。
人間は一生懸命にもがき苦しみ生きているけれど、それは瓶に張り付いた紙ラベルをお湯が沸くまでの間だけ、必死で剥がしているだけ。お湯が沸けば(寿命がくれば)、途中でもそれをほっぽり出して火を止め水筒にお湯を移す(あの世に行く)。
人生なんてそんなものかもしれない。
ケセラケラ。