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その一言の奥には、すべてがある
浅はかなオレのこの考えや、理解も、行動も、実はその奥には計り知れないものがある。
それはすべての人にも当てはまる。
先のことをや周りの人のことをなにも考えずに、自分のエゴだけの言動があったとしても、その奥には、哲学者が悩み考えたことと同等かそれ以上の何かがある、とオレは信じている。
一瞬の思いつきには、オレのすべての人生と、先祖のDNAと、人間の歴史と、動物の、地球の、宇宙のそれらが凝縮されているのだ。
「ピカソの30秒」という小話がある。
ピカソが市場を歩いていると、ある婦人が呼び止めた。彼女はピカソの大ファンで、絵を描いて欲しいという。
快諾したピカソは、さらさらと絵を描き上げた。婦人は喜び、いくらなら絵を譲ってもらえるか尋ねた。ピカソはこう言った。
「このスケッチは100万ドルです」
婦人は驚き、高すぎると言った。たった30秒で描いた絵が、どうして100万ドルもするのか尋ねた。するとピカソはこう答えた。
「いいえ、30秒ではありません。私は、これまでに30年もの研鑽を積んできました。だから、この絵を描くのにかかった時間は、30年と30秒なのです」
https://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2021/04/post-70e4cb.html
好きな逸話だ。しかしそれを言うなら、ピカソを呼び止めた婦人の一言にも、100万ドルの価値があってもおかしくはない。
ただ、それにお金を払う人がいるかは別だが。
オレたちは、あれには価値がある、これには価値がない。あなたは価値のある人間だが、わたしにはなんの価値もない、と好き勝手に判断をする。
そう判断してしまうその奥には、常に、自分では計り知れない何かがあるのかもしれない。
しかし、正直、そんなことはどうでもよくて、オレたちは「あーだこーだ」と愚痴りながら、苦しみ楽しみつつ死んでいく。それでいいと思う。崇高になる必要はない。