不安や恐れは行動していないから現れる説ならば…

精神科医の樺沢紫苑氏がYouTubeで「不安は行動をすることを促すために現れる」みたいなことを言っていた。

原始人の時代は不安を感じるときは、身に危険が迫っているときだ。
だからそのままじっとしていては獰猛な動物に喰われたり、敵の部族に襲われたり、食べものにありつけず餓死をする。

そうならないために人間には“不安”という感情を手に入れたのかもしれない、知らんけどw

脳は「このままではやばい、行動を起こさないと命が危険に晒されるぞ」と不安な気持ちにさせ、そわそわさせ、脈を上げ、筋肉を硬直させ、直ぐに行動できるように臨戦体制を整える。

現代社会では肉体的な危険は激減したが、人間関係などの精神的な危険が激増した。
そしてそれに出会うと不安に襲われる。

行動の原動力が不安かもって説

肉体的な危険にしても、精神的な危険にしても、人間は危険を感じると、それから命を守ろうと本能が働き不安になり、それから逃れるための行動を促そうとする。

行動力の元になる力のひとつが不安であるのならば、不安を消すためには行動をするしかない、となる。

いってしまえば、なんでもいいから行動をすれば本能は、危険から命を守るために行動をしているからもう安心だ!となるのではってこと。

たぶん、危険回避とまったく関係のないことでも、なにか行動をしている間は不安には襲われないのではと思う。もしくは不安が軽減されるのではと。

一番間違いない行動は運動だろう。
そこそこの負荷のある運動をしているときに、将来の不安とか、人間関係の悩みなど考える余裕はない。

マンガを読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、歌を歌ったりもいいと思う。

そんなときオレたちは、目の前のことに集中することができる。

いまここにいると不安や怖れは消えてなくなる。

不安や怖れは未来からくる。後悔は過去からくる。

いまここにはそんなものはない。

不安に襲われたら、シンプルに行動をすればいい。不安解消に直接つながる行動でも、まったく関係のない行動でもその時の自分にできることをすればいい。

不安なことについて考えても不安になるだけだ。
ときにはそんなことも必要かもしれないが、少しだけ考えて、あとはとっとと行動あるのみだ。

それが不安との一番手っ取り早いつきあい方だと、いまのところオレは思う。

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