父が呼んでいる【ショートショート#68】
父が二階から呼んでいる。冷蔵庫のモーター音のような音だが、冷蔵庫は一階にあるから、この音は確かに父の声だ。
私は階段を降り父の部屋の前で耳を澄ませた。ドアの向こうから父のモーター音のような声が私の名前を呼んでいた。ドアを開け、
「なん? どうした?」と声をかけた。父は座椅子に座ってテレビを見ながら「お茶」と言った。
正確には「うーん」と聞こるが、それがなにを意味するのかを私は聞き取ることができた。父は言葉を発しない。ある日突然、「言葉をやめる」と言ったきり会話は「うーん」になった。
父は「うーん」に思いの丈を込めて発する。そこにはエネルギーだけが乗っていた。
しかし、「うーん」に意味は含まれていないかもしれない。
正直、父が「うーん」に思いを込めているのかわからない。私が汲み取っているだけなのかもしれないし、そうではないかもしれない。父は四六時中「うーん」と言っている。空気が漏れつづけている。
ときどき私は一階にある冷蔵庫とも会話をした。冷蔵庫の前に座りお互いを慰め合ったりする。そのとき冷蔵庫は必ずアイスをご馳走してくれた。
父がテレビをつけろと呼んでいる。冷蔵庫は「うーん」と言っている。