ご当地グルメ 002 『龍』
今回は、盛岡市民のソウルフードをご紹介させていただく。
盛岡市民のなかで『白龍』と書かれた文字を見て「はくりゅう」などと読む者はいない。皆、当然のように「ぱいろん」と読む。盛岡三大麺の一つ『盛岡じゃじゃ麺』発祥の店である。
盛岡三大麺とは『盛岡じゃじゃ麺』『盛岡冷麺』『わんこそば』のことを指す。その三大麺の中において圧倒的に全国的知名度の低き物が『盛岡じゃじゃ麺』である。しかし、最も盛岡市民に食されし物はこの『盛岡じゃじゃ麺』なのである。
11年前の5月。新天地である盛岡市に辿り着いた僕は観光雑誌片手に市内を散策した。握りしめた観光雑誌の巻頭特集には『盛岡三大麺』の太き文字。いずれ知ることになるのだが、当時は『盛岡冷麺』は焼肉を食した後の〆として食べし物という先入観があった。盛岡市民にとって冷麺だけ食すことは当たり前の行為であると知るのは後々である。『わんこそば』に関しては一回の昼食にしては値が張るし、どうせ食すならば前々からコンディションを整えて臨みたい。結果、消去法的に残った麺が『盛岡じゃじゃ麺』であった。そして、観光雑誌を頼りに向かった先が『白龍(ぱいろん)』である。
当時の我がツイートを発見したので転載する。
「ひとり盛岡観光してるんだよ。まずは白龍(パイロン)でじゃじゃ麺喰らったんだよ。喰らい方がわからず周りをキョロつきながら喰らったんだよ。うまかったー。」
https://twitter.com/ageyuki/status/65964088055971841?s=21
まず、注目すべきは最後の「うまかったー」である。記憶が定かではないが、おそらくこの「うまかったー」は「県民に受け入れられたい!」という下心からのサービス「うまっかたー」だと推測される。このツイートの本質は、その前。「喰らい方がわからず周りをキョロつきながら喰らったんだよ。」である。そう。こんなふわふわした状態で食を楽しめたとは到底思えない。恥ずかしい男である。
しかし、おそらく大方のじゃじゃ麺童貞はこうなる。盛岡じゃじゃ麺の最大の特徴は、自分で味付けするというものなのだ。それを知らずにじゃじゃ麺と向かい合ったところでじゃじゃ麺童貞には為す術なしなのだ。「じゃじゃ」の付かない単なる童貞であれば、功罪あれど、アダルト作品というハウツー教材のおかげで「こうかな?」とイメージが湧く。しかし、残念ながら盛岡じゃじゃ麺にハウツー教材はない。もしかしたらあるのかもしれないが、アダルト作品のように世に溢れては当然ない。故に、じゃじゃ麺童貞のとるアクションは「キョロつき」以外ないのである。しかし、童貞が性行為を覚えたらどうなるか。そう。ブレーキの壊れた車体と化す。それならば、じゃじゃ麺ではどうか。同じである。もう、じゃじゃ麺のことしか考えられなくなるのだ。
そんな依存度の高き食べ物『盛岡じゃじゃ麺』の食し方を紹介する。
盛岡じゃじゃ麺はよく『ジャージャー麺』と勘違いされたり、同じような物と思われることがしばしばあるのだが、写真の通り、全くの別物と思って良い。平たいうどんのような麺にオリジナルブレンドの肉味噌、細かく刻まれたきゅうり、ねぎ、そして赤と黄色の生姜が添えられてくる。さらに白龍では堂々と魔法の白い粉、旨味調味料が振りかけられている。魔法の白い粉はお店によるが、それ以外のものは肉味噌のブレンド具合やきゅうりやネギの刻み方に違いはあるものの基本形は元祖盛岡じゃじゃ麺『白龍』と共通している。
当然、じゃじゃ麺が苦手な人間も存在する。その理由として多く挙がるものが「温かい麺の上のきゅうり」であるようだ。確かに、じゃじゃ麺以外でそのような食べ物はパッとは思いつかない。そう考えると、きゅうりに熱を通すことは非常識なのかもしれない。しかし、盛岡市民にとってじゃじゃ麺におけるきゅうりはなくてはならないものなのだ。きゅうりの無きじゃじゃ麺はパイオツに触れぬ性行為のようなものである。
先ほどからじゃじゃ麺と性を絡めた表現が多発してしまっているが、それは僕自身が下ネタ好きだからではない。むしろ下ネタは嫌いである。しかし、なぜ性的表現が多発してしまうのかというと、じゃじゃ麺には己に潜むエロティシズムを刺激する何かがあるからなのである。故に不本意ながら性的表現を多発させていただく。
まず、店内に入りカウンターなりテーブル席なりに着席すると、眼前にはいくつかの調味料と、「生」なのか「ゆで」なのかわからぬ卵が積まれているはずだ。
じゃじゃ麺童貞はそこで一度目の戸惑いを覚える。結論から言えば、その卵は「生」である。しかし、この生卵がその役割を迎えるのはまだまだ後の話である。それを知っているか知らぬかで心の余裕に相当の差ができるはずだ。じゃじゃ麺は茹で上がるまでに10分ほどかかる。「その間にこのゆで卵でも食べてお待ちくださいということなのか」などと愚かな発想をせずに済む。
じゃじゃ麺は小、中、大、特大とある。注文を済ませ、先述したように10分ほど待つと熱々のじゃじゃ麺が運ばれてくる。まずはこの見た目の可愛らしさを楽しんでいただきたい。ここで可愛らしさを楽しむという行為は非常に重要な行為なのだ。なぜならば、この直後にじゃじゃ麺は驚くほどに淫ら(みだら)になるからである。おそらくどの観光雑誌においてもじゃじゃ麺の写真はこの可愛らしい姿のものであるはずだ。エロ本でもない限り、この後の淫らな姿はじゃじゃ麺の今後を慮って載せてはいないのだろう。
さて、存分に可愛らしさを楽しんだならばいよいよプレイの始まりである。先述した眼前の調味料。お酢と自家製のラー油、そしてすりおろしたニンニクがあるはずだ。
これらを使い、自分好みの味付けにする。当然、じゃじゃ麺童貞には自分の好みの味付けなど知る由もないのだから、自身の性格に合わせ、臆病な性格であれば想定よりやや多めに、大胆な性格であれば想定よりやや少なめに掛ければ良いだろう。ニンニクにおいてはその後の予定と相談である。性行為におけるコンドーさんのようなものだ。責任ある行動をという話である。
そして、調味料をふりかけたのであれば、あとはグチャグチャにかき混ぜるだけだ。そう。グチャグチャにだ。じゃじゃ麺童貞に限って、格好つけて余裕ぶるきらいがある。そんなものはいらないのだ。とにかくグチャグチャにかき混ぜるのだ。グチャグチャに。淫らに。そして思い出してほしい。あの可愛らしかった姿を。
限界までかき混ぜたならば、いよいよ実食である。お酢とラー油、ニンニクと相まったコクのある肉味噌が麺に絡みつき、きゅうりのコリコリとネギのシャキシャキがアクセントを生む。もう腰が止まらないはずだ。失礼。箸が止まらないはずだ。おそらくあっという間に果ててしまうだろう。しかし、果てたからと言ってパンツを履くのはまだ早い。ここで終わらないのが盛岡じゃじゃ麺なのである。何かを忘れていないだろうか。そう。ここで登場するのが「生卵」なのだ。
食し果てた器の中に生卵を投入し、かき混ぜる。そして箸を添えたまま「お願いします」と店員さんに差し出す。すると、その器の中に肉味噌の入った茹で汁が盛られて出てくる。これを「ちぃたんたん」という。
元々、ちぃたんたんは、器を綺麗にし、洗いやすくしたいというお店側の思惑から生まれたそうだ。それがいつしか定番化したという。つまり、ちぃたんたんとは、果てた後のお掃除、快楽の向こう側なのである。単なる動物的な欲の解放ではない。ジョン&ヨーコ的『Love&Peace』。それがちぃたんたんなのだ。
眼前の調味料の中に使っていないものがあるはずだ。塩と胡椒である。それらを適量ふりかけ、ここでも自分好みの味付けにする。じゃじゃ麺とは別料金なのだが、この「ちぃたんたん」を注文し、飲み干さなければ「じゃじゃ麺を食べた」とは言えない。
これが盛岡じゃじゃ麺である。盛岡に遊びに来る機会があればぜひ食していただきたい。その時の参考になればと思う。
ちなみにこのテキストを書いている4月14日は、年に一度の『じゃじゃの日』である。やばい。もうじゃじゃ麺のことしか考えられない。今からイッてこようと思う。