致命的だった文章
最初に公開された謝罪文がどうであれ、結局自分がどんな罪を犯したのか、なんで賠償したのかは、示談金の量ではなく、本人がわかっているだろうから、どうしようもなかったかもしれないが。
だが、見てわかった、これはないという明らかな失敗は、この文言である。
「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました。」
私みたいに無神経な人間でも、これはない、完全に間違っているというのは、わかる。これは中居氏本人が考えた、少なくとも自分で確認して納得した言葉なのだろうか?
もしも違うなら、「違う自分の本意じゃない!」そう言って、すぐに訂正したほうがましだった。関係者、たとえば事務所の誰かに見てもらえず、全部自分で考えて、そのまま掲載してしまったのだろうか?
相談する人がいなかったのか。 相談した結果がこれだったのか本当にわからない。いくらなんでもこれでは謝罪になってない。
本人の葛藤=自分が芸能活動を続けられるかという、不安は、十分すぎるほど伝わってくるのだが。
これでは、取り調べで、まだ何も聞いてないのに、
「いいや、僕はそこにいなかった。ナイフは持っていない! 僕が刺したんじゃない!」
と、凶器と殺傷方法を自白してしまう容疑者みたいに思えてしまったからだ。
芸能活動を続けるため、当事者と示談したとして、なぜそれが、「他者への謝罪で通用すると思った」のか、本当に謎だ。示談は当事者との和解であって、当事者が許したからといって、その行為を社会が許すわけではない。それくらいわかりそうなのに、よほど心配だったのか、よほど示談が成立して安心してたのか、自ら事の重大性を示してしまったとさえ思う。
(そう思わせるには十分な、文章だったということだ)
もちろん、最終的に、彼が恐れていた通りの結果になってしまったのが現状だが。正しく自分の本意を伝えるためにも、いや単に自己利益のためだけであっても国語の勉強も大切である。