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第一走目:走りたくない

2023/08/17
7km。20分。

私は非常に不服な表情で鏡の前に立っている。何故か。その鏡の前、ちょうど私の足の裏にランニングマシンがあるからである。10分前に食べた夕食に入っていたカニカマが出そうだからという言い訳が思いついたが、鏡の前の私がそれを見透かしたように睨んでいる。

大体、走って何になるというのか。生産性がない。電気を消費しランニングマシンのベルトを回し、その上で左右の足を動かす。消費の塊みたいな行為だ。その証拠に画面に「消費カロリー」とある。消費は人間の最低ラインの行為である。もはや生活向上意識の低下と言ってもいい。なのに何故私がそれを興じようとしているのか。「私の体が生産性が良すぎた」からである。

ランニングマシンを動かす「ワークアウト開始」ボタンを怖いな怖いなと思いながら押下した。私の表情も話のクライマックスの時の稲川淳二のようだったに違いない。だが、押してしまえば自身の負けず嫌い心が足を動かす。

私は走るのが嫌いだ。どのくらいかと言うと、小学4年生まで運動会の最後尾を連覇するくらい嫌いだ。その代わりに踊りを覚えるのは誰よりも早かった。
「走るだけやったらでかい図体で脳みそがクルミサイズやった恐竜でもできるで?」
私は、足は速いが記憶のアシもはやい同級生を罵った。鈍足の良い子のみなさん。足が遅くても踊りが出来りゃあ運動会でマウントが取れるんですよ。これだけは覚えて帰ってください。どうせ大人になればアシは車か電車かバイクです。この時代を30年ほど経って、運動会白亜紀時代と名付けた。

「今度ドベやったらもう運動会行かへんぞ。」
父は何故か怒りながら言った。運動会氷河期時代の到来である。私はその冷たい言葉に半べそをかいた。家族で私以外の全員が俊足だったのである。私は小学生なりに家族と私の身体的違いは何か考えある結論に達した。奴らはチビだからである。空気抵抗が少ないに違いない。
私は当日、前屈みになり尻をできるだけ後ろに、杖をつかない老婆のようにして走った。翌年、父の姿は無かった。

中学になると、フォレスト・ガンプをテレビで見たからか、成長期を迎え何か異変が起きたのか、テニス部に入ったからか突然「そこそこ」の成績をおさめるようになった。だからといって好きになることはない。「如何に走らないで人生を生きるか」が私の人生のテーマだった。

ランニングマシンは私をハムスターのように走らせている。リモートワークで仕事をしている為、私の部屋はハムスターの檻そのものである。血の巡りが良くなったからか幼少期の嫌な記憶を沢山思い出した気がする。ランニングハイとやらはいつ来るのか。鏡の前の私は人を殺めた犯人のような顔をしている。 lowすぎてlawにひっかかってしまうとくだらない事を考えた。

今日、会社でとある競技に勤しむスゴイ先輩にイヤイヤ毎日ランニングをしている話をしたら「日記を書くといいですよ」と言っていた。
「いや、走るの嫌だしか書くことがないっすよ」
「嫌だから書くんですよ」
うーん。色々な理由をもらったがいまいちピンとこない。
「書いてると嫌から楽しいって変わる時が後から見てわかるんですよ。絶対書いた方がいい。」
意見を言う時いつも「私の意見が正しいとは限らない」と注意をおく先輩が絶対というのは珍しい。やってみる価値はあるかもしれない。そう思い今これを打っている。

前置きが長くなったがつまりはこういうことだ。これから走るたびに日記をつけることにする。毎回こんな長文を書くこともないだろうが、とりあえず一日目完走しました。

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