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キツネのイオマンテ と 家族の歴史
生き物を狩って 生き延びてきた
母方の祖父は樺太アイヌであった。祖父には何人か兄弟がいて南樺太で暮らしていた。
祖父の父は狐を狩って毛皮を売って、家族を養っていたそうだが… 感謝のキモチを伝えられなかったのか、何かカムイや狐さんたちに失礼が有ったのか…祟りを呪いという形で受けることになってしまった。
この話をすることは稀だったが、アイヌやこの家族に起こったことをずっと何故だろう?と思って自分なりに考えながら生きてきた。
が、山口敏太郎さんとYouTubeで御縁があってお話することになり、改めて調べていたところ
キツネのためのイオマンテ
チロンヌプイ カムイ イオマンテ というものが有ることがわかった。 私がまだ小さな頃、地元でその儀式が75年振りに行われ、それがドキュメンタリー映画として記録されていた。
30年以上経過した今年になって、その映画が公開されたことを知った。春に公開してたので、現状見られる機会はほぼ皆無な中、 東京ドキュメンタリー映画祭で1度だけ公開されるということで、お休みを取ってスクリーンの前に座った。
※山口敏太郎先生のアトラスラジオリンクは
最後に貼ります
初めて見た チロンヌプカムイ イオマンテ
儀式を行う前の、普通の映像も撮られていて
なんだか懐かしい景色も映っていた。
あのとき、あの場所でこんな儀式があったんだと不思議なキモチになった。
イオマンテというものは、狩りに行って殺めた親の熊やキツネを2年ほど集落で可愛がって育て、そのあとに盛大に歌や踊り、儀式を行いカムイ・神の国に送る儀式である。フクロウのイオマンテも有るそうだ。
狩りを行うアイヌの者は、簡易的にもイオマンテを行っていたそうだ。
ありがとう という感謝のキモチ、キツネが安全に悪い神に遭ったりしないように願ったり、この神聖な儀式を邪魔されないような躍りをしたりする。
キタキツネを『ツネキチ』と名付けて飼い、
このチロンヌプカムイ イオマンテの儀式を執り行う 日川エカシは、やはりツラいと言っていた。
ツネキチ は最後の時が近づくといくら盛大に儀式で送られるとはいえ 怯えていた。
日川エカシは、最後の瞬間なんて見ていられないよと言っていた。でもアイヌの人々は最後まで陽気な歌や躍りをしてツネキチを励ますかのようだった。
最後の最後の方法も気絶をさせてからで、刃物や銃は使わない。数日間に渡って行われるこのイオマンテは、
日本の音楽とはかけ離れた、本当にアマゾンとかアフリカとかの部族の儀式を見ているかような発音のウタの世界や、耳慣れないアイヌ語の神への詞。
神聖で野性的で、パワフルで強く、おごそか。
これは日本なんだろうか?と目を疑うほどだった。
アイヌ神謡 (シンヨウ) 的な考え
この日、監督の北村皆雄さんがいらしており
上映後にお話をしてくださった。
その中に、アイヌ神謡のフクロウの話があると教えてくださった。 フクロウは少年達に狙われるのだが、貧しいけれど心が清い少年に命を捧げることを選んで、弓で射られるという話。動物も誰に射られるのかを選んでいるのだと。
キツネを狩ることは他の国
北欧やロシアでもあるだろう。
なのにどうして私の一族が呪いの対象になったのか?
やはり、もしかするとアイヌ民族や北海道に来てくれた動物たちは この人に命をあげたい と思って来てくれていたのかもしれないと。
この人なら私の毛皮とお肉を与えようと思ってカムイの国からきたのに、何て失礼な人なんだ!と曾祖父は
思われてしまったのかもしれない。
なぜなら、そのアイヌ神謡では
動物が嫌だと思う人が矢を打っても、矢は避けられるが、この人の矢を受けたいと思って動物は矢を受けてくれると言うのだ。。
こういう考え方は、そんなことは有るはずがないと
言う人も必ず居られると思うけども
アイヌのただの伝説的な扱いをするよりも、
私も含め、実際に呪われたということは
そういう世界が有るのだろうという一つのエビデンスでもあり、メッセージなのかなと思えたのは
他にも学びの機会があったからではあるのですが。
愛を持つことは無限の選択肢がある
この映画の中で曲をいくつかご担当された
豊川容子さんのコメントが印象的だった。
キツネの解体シーンの曲も作ることになって
祟られたらどうしようと思ったけれど、キモチが変わったという話だ。 それは、育ての母親のようなキモチになって製作しようと思ったそうだ。
芸能の神様は、喜びに降りてくる印象があって
こうでなきゃいけないという頭でっかちな思考になっていると降りてきてくれない。 ともありました。
ちょうど同じことを尊敬する霊媒師の方々もおっしゃられていたので驚きました。
畏れ敬うことは大切ですが
一方で正義を貫きすぎるとその思いは重く、
悪いものに好かれやすくなると。
チロンヌプカムイ イオマンテではナレーションは
キツネのツネキチの視点から、一人称で語られます。
これはアイヌの神謡が一人称の語りだからだそうです。
ツネキチは、人間界でたくさん良くしてもらって、素敵な躍りを沢山見せてもらって、お土産も、歌もたくさん見せて貰ったと、愛情をかけてもらったことを自慢するそうです。 それを聞いた仲間は、私も人間界に行きたいと言うそうです。
このチロンヌプカムイ イオマンテを行う際に
イオマンテの祭主 弟子さんは
『道路で轢かれてしまったキツネや 死んでいく牛や馬やなんかの魂も、今回きちんと送ってやらねば』
と言いました。
日本人の死への恐怖は強い方で、死んだら無になるという考えを私も聞いたことはあります。
しかし、このアイヌのイオマンテ、カムイの考えや
私自身の経験、呪いの経験を踏まえると霊界のようなものは確かにあって、でもこの現世とも繋がっていて完全に分離はしていない気がしています。
なぜなら、神様からのメッセージを受けとることもあれば、呪いを受けとることも 証拠は有りませんが
同じルートを使っている気がするんです。
愛をもって というのはたくさんの考えや選択肢の上に立っていて、宗教、時代、人種、国、によってその定義は変わりつづけるものではないかと思います。
ゆえに、この映画をみても絶対こうだと私は断言できませんし、呪いの因果関係はわかりません。
しかしながら、ただ怖いものだと恐れすぎるのではなく
なぜなのか? 考えることはとても大切ではないかと思います。 偶然にも、今年の春にメインで上映されていたこの映画は、今時期は上映してる映画館がほぼなくて。新宿で特別上映の一週間前のタイミングで出会えたのは奇跡的で。
この世界は過去も現実も未来も繋がっていて、未来や過去の誰かがサポートしてくれてる。
そんな気がしている今日この頃です。
知らない間に、教えて貰ってたアイヌ語のおまじないとなも不思議なんですよね…Iyairaykere!
実は北村監督についても、私の今年の疑問が解けるような作品を撮ってたり、とてもとても!!
興味深い監督さんです。本当に不思議でした。
アイヌ語の翻訳をしてくださった中川裕さんにも感謝です! 私の人生は続く…
⭐山口敏太郎さんのアトラスラジオ
この次の回は夢の話で出させて頂いてます。
にしても、そうですねを連発して、笑っていいとも!の観客みたくなってるので恥ずかしい限りです。
⭐チロンヌプカムイ イオマンテについての
北村監督らのインタビュー記事。かなりオススメです!