春、母になった日。
もう春である。
5年前の春、わたしは夫と結婚し、夫の実家で同居することになった。
誰も知り合いがいない町に引っ越して、家の周りは田んぼや山やら、自然だけは充実していた。
街中から引っ越してきたので、しばらく途方に暮れた。
カフェも店もカルチャーもなにも、ない。
友達もいないし、家では気を遣うし、とても毎日が緊張と不安の連続であった。
そしてある時、妊娠初期のホルモンバランス不安定だったわたしは、何気ない姑のひと言に大変傷つき、突如脱走した。
裏の山に逃げ込み、それはそれは悲劇のヒロインばりに大泣きしたのである。
わんわん泣いていると、そこは犬の散歩道にもなっているので、大きなレトリバーと中年のおっさんが通りかかり、
「どうしたんですか?」と、明らかにおっさんは怪訝な顔して声をかけてきた。
まっ昼間に山の草陰で、三十路過ぎの女がしくしくと泣いてるのである。
なかなかない光景に、やはりおっさんは引き、レトリバーはつぶらな瞳でこちらをのぞいている。
わたしはおっさんにつらい状況を言いかけたが、口から出てきた言葉は、
「なんでもないです」
だった。
なんでもないわけ、ないだろう。という顔を残しておっさんとレトリバーは去っていった。
わたしは悲劇のヒロインごっこをやめ、山から降りて、住宅地をとぼとぼと歩き始めた。
帰る家は、夫の実家だけである。
でも今帰ったら姑もいるし、バツが悪い。
帰りたくない、そう思いながら、携帯で実家の母に電話をした。
すべての話を母は黙って聞いてくれ、最後にこう言った。
「あんた、もうすぐ母になるんだから、強く生きなさい」
正義感と責任感の塊のような母らしい一言であった。
わたしは腹を決めて、家に戻った。
心配していた姑に、自分の気持ちを伝え、謝った。二人で泣いて抱き合った。
それから三年間、わたしたちは時にケンカしたり、笑ったり、喜んだり、泣いたりしながら、家族としての時間を過ごした。
5年経った今では、第二の実家のように、いつもくつろがせてもらっている。
しかし、あの茶番劇のようなわたしの振る舞いは、今思い返すと恥ずかしさを超えて、一人コントであった。
子供だったのだ。
姑の一言で山に逃げ込むなんてこと、今はもうしないだろうなあと思うと、すこしさみしい。
母になり、オブラートのように薄かった心が、ドラム缶のように大変頑丈になってしまったからだ。
2017.3.23『もそっと笑う女』より