もう何十年も前、両親と私とで初詣に行った時のことだ。
授与所で、お札か何かを買おうとしていた。
値段はそれぞれ違う。高いものか、安めのものか。
父は「どれがいいだろう」と母に一瞬相談した。
母は落ち着いた顔で、「お好きなものをどうぞ」と言った。自分の意見など言わずに父に判断を委ねたのだ。
それを見ていた受付のおばさんが、私の顔をチラリと見て、こう言った。
「素晴らしいお母さんだよ。見習うべきだ」
私はその意味が全然理解できなかった。母の態度のどこが素晴らしかったのか。一歩下がって、父を立てていることらしいのだが、本当にそれが素晴らしいことなのか、疑問だった。「女として」そうすることが、最上級の嗜みと決定づけられていることのようで、余計にモヤモヤしたことを記憶している。
雑誌をよく読んでいた時、これは、という記事をスクラップしてとっておいた。それを久しぶりにめくっていた時、その過去のモヤモヤとハッとさせる記事を見つけたので、ここに一部抜粋しておきたい。
ナイジェリア出身の作家、チママンダ・ンゴズイ・アディーチェのエッセイ。
母も完璧な女性という檻の中にいたのだろうか。年を重ねて、最近は人間味のある言動をちらほらと聞くたびに、どこかほっとして、母は本来、こういう人だったんだ、と気付かされる。檻の中から、そっと抜け出たのだろうか。そもそも、本当にそのような檻は、あったのだろうか。
↓チママンダのエッセイ全文はこちらでお読みいただけます。
興味ある方はぜひ。