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【短編小説】猫と夫と。
あいうえいかさんのすてきな写真を使って、なにか物語が書けないかと思っていた。
ふと、何年前かに短編のものがたりをpagesに書いていたことを思い出した。
100%創作、フィクションの世界だが、こんなの書いてたんだ過去のわたしと思ったらおもしろい。えいかさんのやわらかい世界と物語が合ってるかなと思ったので、ここでこっそり発表したい。
『猫と夫と、コーヒーと。』
ジャムをことこと煮る時間が好きだ。
部屋中に、甘い、甘い、いちごの香りが漂う。
キッチンには、庭で摘みたてのミントの葉をグラスにさす。
鼻を近づけると、凛とした、香り。
沸かしたポットから、湯気が立ち込める。
コーヒー豆をミルに入れる。
ガリガリと音が鳴り、途端に、苦く香る、豆の香り。
挽きたての香りは、やはりいい。
脳に染み込むような、香り。
お湯を少しずつ垂らして抽出する。
ぽたん、ぽたん、ぽたん、一滴ずつ、落ちる音。
リビングの一番日の当たる場所で、猫のあねごが日向ぼっこしている。
あねごは今年で二十才になる、おばあちゃん猫である。
わたしが二十歳のとき、実家のガレージの前で捨てられていたのだ。
ころんと、手のひらにおさまるほどの大きさだった。
あねごのことは、あーちゃん、と呼んでいる。
あーちゃん。
キッチンから呼ぶと、髭を一瞬ぴくりと動かすだけで、こちらを見る気配はない。
いつだってあーちゃんは、今、ここにいる。
コーヒーをゆっくり飲みながら、近所のベーカリーで朝買ってきた、バゲットをかじる。
もちろん、バターはたっぷり塗って。
ジャムはまだ出来たてで熱いから、明日の楽しみにしよう。
窓から、五月の風が入る。
肌をすーっと通り過ぎて、部屋に一瞬で馴染んだ。
この時期の風と、秋口のひんやりとした、朝の空気好きだ。
近くの公園まで散歩する。
今日は休日だからか、親子連れが多い。
入りかけたが、やめて、そのまま真っ直ぐ歩いて商店街の中の本屋に寄る。
ここは三年前に、以前出版社で働いていた方が、独立して開いた本屋だ。
よくある大衆向けの本というよりは、気の利いた類の本が並んでいる。
気の利いた、とは、私にとっての、という意味であるが。
津村記久子の新刊を買い、店を出る。
店主はいつも言葉少なだが、客が店を出るときだけ、「あ、ありがとうございます!」と、張り切って声をだす。
それは、本を買った客でも、買わなかった客に対しても、同じなのだった。商店街を抜けて、小さな神社に寄ってみる。
参拝客は誰もいなかった。
小銭を賽銭箱に入れ、礼をしてから、柏手を打つ。
誰もいないので、今日はいつもより大き目に柏手を打ってみた。
何故か、どきどきした。
ふう、と息をついて、お祈りした。
目を閉じて、手を合わせると、風が吹いた。
スカートの裾が揺れた。
一度も振り返らず、神社を後にした。
夕方になると、景くんが仕事から帰ってきた。
景くんとは、私の夫であり、あねご、の名付け親でもある。
幼馴染で、かれこれ四十年近くの付き合いだ。
人生のほとんどを一瞬に過ごしていると、言ってもいい。
幼稚園のときに、しょうらい、けっこんしようね、と約束して、本当に結婚してしまったから、周囲も驚いていた。
景くんは、親友でもあり、恋人でもあり、夫でもある。
こんなにしあわせな関係はないよね、と時々ふたりで話す。
景くんは必ず、帰宅したら真っ先に、あーちゃんの元へ行く。
あーちゃんは、ごろごろと喉を鳴らして、いつも嬉しそうなのだ。
「景くん、今朝生理きた。今月もだめだった」
申し訳なく報告すると、あーちゃんを撫でる手を止めて、景くんは真っ直ぐな目で見てこちらを見た。
「だめじゃないよ。だめじゃない。そういう風に、自分を責めない。誰にもどうすることもできない。天に任せるしかないよ」
涙ぐみながら、神社にお参りしたことを言うと、
「僕たちではどうしようもないことってある。望む未来を嘆いて悲しむより、今、目の前のことを大切にしようよ。僕は、今、しあわせだよ」
景くんの瞳はいつだって真っ直ぐだ。
幼稚園の頃から変わっていない。
こんなに、ピュアな人が世の中にいるのだろうか。
私は涙を拭って、笑った。
「うん、そうだね」
あーちゃんが、のそりのそりと歩いてきて、景くんの足元に身を寄せてきた。
私もしゃがんだ景くんに、身を寄せる。
太陽のひかりをたっぷりと浴びた布団のようだ、と、景くんの匂いを嗅いだ。
「今日の晩御飯は、ハンバーグだよ!乾杯しよう!」
私は勢いよく、ビールを開けた。
グラスに注いで、二人で一気に飲む。
ビールの泡が、二人の口元について、顔を見合わせて笑った。
景くんが言う通り、たしかに、私は、
今、しあわせだ。
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