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ための自己紹介⑦:見えない世界と見える世界その2
さて、会社を辞めて、やりたいこと、思いついたことを沢山やってみようと思い、色々動いていた私。
辞める少し前から、「見えない世界」に対する興味が強烈に湧いてきました。
それまで、家の中は足の踏み場がないほど荷物や本が散乱しており、カオス状態でした。いっときはITベンチャーでめちゃめちゃ稼いでお金持ちになるんだ、みたいな気持ちもあったので、いざベンチャーで働いてみて、「こんなものか」と現実を見るような気持ちもありました。
電動車椅子を開発していたWHILLの代表の方が、「全速力でほふく前進するようなものだ」と新規事業の展開を形容していましたが、現実にフィットさせるために泥臭い汗をかく場面が非常に多いのです。
一方で、しっかり事業として確立すれば、会社が成長していく中で素晴らしい経験が出来ます。
ですが、私はベンチャーの中に入って頑張るより、自分で何か新しいことをする方が好きだったことが分かってきました。今までに無い売り出し方に興味があったのです。
そして、自分の関心が色々と揺れ動いていく中で、今まで買っていた本や荷物、PCなどがいらないものになっていきます。
私が「見えない世界」に興味を持ち始めた時、これまで学んできたことが急に色褪せて見えてきました。
最初のとっかかり
私は大学生の頃に、実家の図書館で吉本ばななさんの「TSUGUMI」を読んで、こんな感情がダイレクトに刺さる小説があるのか、と感動したのを覚えています。
それから、吉本ばななさんの記事を調べていく中で、結構怪しげな記事も見かけました。そのうちの一つにプリミ恥部さんという方との対談があります。
全然理解できなかったのですが、「なんかやばい!」という気持ちだけで、プリミ恥部さんの本を買いました。クンダリーニがどうとか、聞いても何のことか分からない内容が多くて、そのまま本棚の隅っこに置いていました。
それから、2021年頃に、突然その本のことを思い出すきっかけがありました。
販売していたマーマーブックスさんが、手書きのハガキを送ってきてくれていたのを見つけたのです。
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いまだに意味は半分も分かりませんでしたが、「今必要なメッセージがここに全て込められている気がする」と激しい感情が湧いてきました。
これまで、医療の現場では患者さんのために何ができるか考えてみたが、うまくいかず挫折し、
ベンチャーでは、大好きな会社だったし、人材採用で結果をある程度残したけれど、最終的には去らなければいけなくなり、
その後も、持ち場で出来ることをやってみたけれど、私が提供したい思いとのズレがその都度大きくなっていき、離れざるを得なくなる。
これまで、心を尽くして頑張ってきたはずなのに、全然報われてない気がしたのです。
でも、もしかすると、自分という存在に「内側と外側」があるなら(本音と建前みたいなものかな)、それが一致すれば、もしかしたら生きやすくなるのだろうか?
そこまで厳密に考えていたわけではないですが、急に気になりだしたのです。
そして、いくつかの本を読み始めました。
でも、見えない世界が本当にあるのかなんて、誰かに聞くこともできず、一人で孤独感を感じていました。
見えない世界からのアクセス
また、身体の変化も大きかった。あるとき、頭の上の方から思考が急に楽になり、身体がぽかぽかし出すことがありました。それが何故なのかはさっぱりでしたが、目の前に存在しない何者かとのコンタクトがあったのかも知れないと思うようになります。
実際、「見えない世界」に関心を持ち出すと、古今東西そういった物語や哲学書は枚挙にいとまがありません。
そして、ここ最近SNSの発展によって、さらに色んな人が色んなことを言ったりして、だんだん訳が分からない感じにもなってきています。
この辺りの流れは、こちらの本にまとまっています。
見えない世界にどこかでみんな興味はあるけれど、それぞれ話していることがちょっとずつ異なるために、何が正解なのか分からない。
でも、何よりも大事なものが「見えない世界」にはある。でも、それを伝える術がないから、ずっともどかしいわけです。
ところで、私自身は、医療現場での体験から、もう少し別の視点から捉えていました。
以前の記事で少し取り上げたキューブラー・ロスさんの「新・死ぬ瞬間」では、終末期を迎えた子供達が普通ではあり得ない体験をしたのをまとめています。また、「人生は廻る輪のように」では、天使がやってきて医療ケアから精神的アクセスをする必要性を解く場面があります。
緩和ケアという概念が生まれるきっかけがキューブラー・ロスさんの取り組みによるところが大きく、WHOの定義にもスピリチュアルという語が盛り込まれているのは、必要不可欠なプロセスだったと思います。
つまり、スピリチュアル自体は現実世界でも死に近い領域では認められている考え方であり、それは「見えない世界」に密接に関係すると言えないでしょうか?
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200年以上前の慰霊碑からつながるご縁
私が最初に「見えない世界」に関心を持ち始めたのは「亡くなった人はその後どうなるのか?」でした。語りかけたら、答えてくれるのでしょうか?
東京大仏のある乗蓮寺には、天保の大飢饉を忘れないという立て札と共にたくさんの小さなお地蔵さんと一緒に慰霊碑が建てられています。
ふと、「どうして慰霊碑が今でも残っているのだろう?」と思いました。
それは、弔わないといつまでもそこに何かしらの存在が残ってしまうからではないか?と感じました。そして、死がより身近にあったからこそ、昔の人は霊自体をより生々しく感じていたのではないでしょうか。
そんな風に思いながら、手を合わせてみると、急に日差しが強くなります。
日差しの先に歩いていくと、何やら山崎弁栄さんという100年前のお坊さんの記念碑が建てられています。
読んでみると、明治時代にインドに渡って本場の仏教を探索して、他の宗教ともリンクする新たな仏教宗派を作った、とってもすごい人でした。
中間子論でノーベル賞をとった湯川秀樹さんが原子爆弾が当たり前に存在する世の中における生き方を相談することもあったようです。
そして、ご実家がどうも自分の実家に近そうだということもあり、実家の近くと、弁栄さんが働いていたという千葉のお寺も訪ねてみました。
特に何かイベントがあった訳ではないのですが、「よく来たなあ、頑張れよ」という風に言われたような気もします。
苗字のルーツを辿る旅
また、私の苗字のルーツを辿り、金龍山というお寺に行きました。
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すごいど田舎のお寺で、住職さんに「農協の方ですか?」と聞かれながらも、ルーツを聞くと、空海さんが朝日が輝く山際が龍のように見えたことから、「金龍山」と名づけたと教えてくれました。
そのお寺は真言宗でしたが、私の父方の実家も真言宗のお寺で、私が通っていた幼稚園も真言宗のお寺の中にあり、子供の頃は数珠を持たされていたので、なんだかどっぷりルーツがあるようです。
ある時、たまたま足が向くことがあり、蔵前から浅草寺に向かいました。すると、浅草寺も「金龍山」だったんですね。浅草寺は元天台宗(今は聖観音宗)ですから、真言宗ではないのですが、すごい偶然だなと思ったものです。
話し始めると、こんなエピソードばっかり出てくる訳ですが、「見えない世界」を掘り出してみると、見える世界にその答えが出てくる、その感じが面白くて、しばらく探求していました。
長くなってきたので、一旦この辺で。
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