【考えても、動く】思考で動けなかった私に起きた変化
ついに3か月の滞在を終え、日本に帰ってきました!
行く前は長いと思っていたけれど、早かったー。
特に帰国まで一か月を切ってからがあっという間に流れて。
向こうで出会った人とお別れするのが、本当に悲しいと感じる位に充実していた。最後の日は涙をこらえてお別れし、アパートに戻って泣いた。
夫の仕事で来ていたのに、夫を差し置いて。
正直、こんなに心が動くほどの出会いと学びと充実感を得たのは本当に久しぶり。
ずっとドライだった私が、泣けたことに自分の成長を感じたのでした。
そのくらい、心が動いた経験は、帰ってからもやっぱりその痕跡を残す。
勢いで始めた断捨離
そんな私が帰国してすぐに手を付けたのが、部屋の断捨離。
アメリカのモノたちを家に入れるには、片づけなきゃねーと夫と話していた。なんとなくやろうねーくらいのノリから始まったはずの会話は帰国して12時間と立つ前に現実になった。
帰ってきたら家のすべてが小さく感じて、夫と「こんなんだったっけ?」と顔を見合わせながらも、もう夜遅かったので寝られる状態だけ整えてすぐに寝た。
しかし、時差ボケで午前3時に目が覚め、そこからゴロゴロしながら、頭の中が部屋の整理のシミュレーションを始めてしまって落ち着かなくなったので、午前4時過ぎには起きることに。
静かに作業が始まり、あれよあれよという間に捨てるものをまとめ、明るくなるころには、大きなごみ袋がいくつもいっぱいになった。
自分と目の前の環境の不一致感が気持ち悪くて、とにかく動きたい気持ちでどんどん断捨離した。
疲れているはずなのにこのバイタリティは何だ、と思った。
このバイタリティの正体は、環境の変化が起こした違和感なのだと思う。
「変化を起こしたいときは環境から」
というのはこういうことなのかと感じた。
振り返ればアメリカでの生活は快適だった。
必要最低限のモノだけを持って行ったけれど、とっても豊かな暮らしをしたなと感じることができた。
その意味で、家に置いてあるものの多くは実は生活にはもういらないものだと気づいた。
「自分たちがアメリカで取り入れた新しい風を自分たちの中にもっと吹かせたい。」
異国での暮らしは我が家にとってイナズマのような衝撃を与えてくれました。
受け取った衝撃の勢いがあるままに動いてみると、これまで頭で考えて賢明な判断に落ち着くことで受け取れなかったものがあったんだろうなと感じました。
心を動かしてくれた経験にただただ感謝するばかりです。
考えすぎる前に進んでみる
アメリカに行く前は実は本当に乗り気じゃなかった。
行く!とは言ったけれど、心の中で、いろんなことを思った。
「夫は仕事で人と会うけど、私は向こうに行っても引きこもりなのでは」
「駐在帯同って友達とも会えなくて孤独で辛そう」
「妻の立場なんて無いに等しいのでは」
決して明るくはなく、頭で考えたらやめた方がいい理由ばかりが出てきた。
その中で
「夫と3か月も離れて暮らしたくないから行くしかないんだろうなぁ」
「こんな経験できるの今しかないし、行ったらなんか変わりそう」
もう本当にそれだけの理由で行くことに決めた。
あの一歩があったおかげで今の自分がある。
「『妻も来ていいよ』なんて社交辞令」
と決めつけなかったことが本当に良かった。
社交辞令かもという私の妄想はもちろん膨らむし、膨らめば「アメリカ人らしい関わり方」も「適当に関わられた」と勘違いしたかもしれない。
でも、本当に歓迎してくれて、本当に私とも会うことを楽しみにしてくれている人がいることを感じられたから、その愛を受け取れました。
それまでは思考が先行していた私も、「まずは動いてみよう」って思えたのです。
外側はまだ目立った変化はないかもしれない。
でも、私の内側が確実に変わったのを感じています。
いい経験をさせてくれたこの時間のために関わってくれたすべての人に改めて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
【アメリカ滞在中の記事】
【アメリカ滞在記】