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あの時友達と会うのがこわくなった私へ。
先週の金曜日の夜。ゆっくりと晩御飯を食べて、お風呂から上がると、旦那のLINEに1通の連絡が来ていた。
大学時代の同級生。
どうやらコロナが明けて何人かで飲んでいるようだ。
旦那にはこうして時々、まさにこうして飲んでいる時に連絡をくれる友達がいる。
冗談半分にも「今から来ないか?」というお誘いが来る。
私が、数年前に飲み会に行く時に難色を示してから、誘われなくなってしまったのではなんていう気がかりをよそに、そのまま会話が始まっていく。。。
相手はみんな酔っ払いだ。
シラフな我々にとってみれば、正直めんどくさい。
それでも、適当なやり取りが続いていく。
・・・
飲んで語るのは好きだ。
だけど、私はいつしか、このくだらないノリが嫌いになってしまった。
そもそも、会社終わりに一杯飲んでねぎらうという飲み会に私はほとんど参加しなかった。
酔っぱらえない体質だったので、酔っ払ってどんちゃん騒ぎするのが好きではなかったから。
どちらかといえば、少人数で深く語り合うような飲み会が好きなのだ。
私がコーチになったのもそんなコミュニケーションが好きだったからなんじゃないかな、と思う。
・・・
そんな中、私ももちろん、彼らの友人であったし、最近どうしてる?なんて会話が始まった。
「逗子でフリーランスで仕事をしているよ~」
「どうしてる?」というのは、大体仕事の話だと思っている。
学生時代は「研究どう?」だったし、今は「仕事どう?」という感じだ。
私は数年前にこの質問が嫌で嫌で仕方なかった。
聞かれたくもなかった。
仕事を転職して、心を痛めて。働くことに対してコンプレックスを感じるようになっていたから。それなのに、目の前で繰り広げられる仕事の話をじっと聞いているのは、ちょっとつらかった。
今はそんなことあんまり気にしなくなったけれど、またなんとなく同じような会話になることが予想できてしまったから、なんて話そうかなと身構えていた。
そんな中、電話の向こうで一人の友人がこう言った。
「いや~羨ましいな~逗子で暮らしているなんて。」
多分お世辞じゃなかった。
同じように言う人は何人かいるけれど、この人はここで話がおわらないような気がした。
「もちろん大変なこともあるとは思うけれど、そういう自由な生活が本当に羨ましい。」
その人に私は色々迷惑をかけたと思っている。
たぶんこれまでの転職だったりの事の経緯を一番説明している。
だから、私が辛かった時期も知っていると思う。
「色々と迷惑もかけてしまったけど、おかげさまで元気になったよ!」
「なおちゃんの活動、Facebookとかでも見てたけど、ほんとすごいよ」
そうして会話をして最後に、
「お互い羨ましいと思える部分はあるんだろうけれど、そういう話をこんどじっくりしよう」
という形でやり取りを終えた。
私の中で何かが報われた気がした。
心のどこかでずっと自分の同級生と比較して後ろめたさだったり、上手くいかない悔しさを持ち続けていた。
だから、その人がちょっといいなと思える生活をしていることにどこか安心した。
そして同時に思う。
私が新卒のときのままキャリアを続けていたら、どうだったのだろうと。
多分お金持ちで都心のちょっといいマンションに住んでいる。
お金とキャリアが私の大事な価値基準。
とにかく仕事で上を目指す。バリバリ働ける環境を重視する。
多分、こんな感じだろう。
そして、「最近仕事どう?」という会話をしている。それを当たり前と思っている。
私は学生時代からずっと「バリバリ働くキャリアウーマン」になる予定だった。
そして、一時的にはそうなった。
それがいつの間にか大転落して、転職したらお給料が半分になってしまったり、散々自分の中では「上手くいかない」を経験してきた。
そこからは自分の力でできることをと思って、フリーランスコーチになった。
幸せの基準は自分で見つけ、自分で思っている「豊かさ」を追い求めてここまでなんとかやってきた。
コンプレックスもほとんどなくなってきた。
もちろん、ゼロではなく、時には、「あのくらいバリバリ働いてみたいな~!」なんて思うけれど、ずっとはやりたくない。
自由な時間あっての「バリバリ働きたい」という欲求であって、持っていない世界をたまには求めたいくらいの気分だ。
そうやって生き方に向き合ってきた私の今の価値基準は彼らとは全く違う場所にあることに、気づいた。
自分がいかに幸せな「暮らし」をするか
居心地のいい場所にいて、時々贅沢をする
でも、日々制限が無いからストレスフリー。
どちらが正解の生き方だということではない。
けれど、もしバリバリ働き続けていたら、こういう形の幸せがあることには気づけなかったと思う。
それを今回話していたあの人は知っているのだと、私は思った。
そう言えば私の他の友人も言ってたな。
「こんな自然の多いところに住めるのいいな~」
みんなが言う。私の家に遊びに来てくれる人はほとんどそう言ってくれる。
でも、実際にどこかに引っ越したという話は聞かない。
仕事が日常の中心にあるとはそういうことなんだと思う。
「だけど会社まで行くの遠いんだよなぁ」
「会社には行かなきゃいけないからなぁ」
私はこの言葉に違和感を感じるから、もっと自由に生きれる方法を模索してここまで来てしまったのだ。
だけどその言葉に違和感を感じてもそのまま会社に行くために生きている人はいっぱいいる。
できるなら、会社に行き続けるのが良かったかもしれないけれど、会社にいけなくなったからあの時は諦めるしかなかった。
そのおかげで私は新しい価値観を手に入れた。
それが時間や場所に囚われすぎない生き方だ。
私は心が不調になってキャリアを何度も中断する生き方をしてきたので、ずっと途切れなく働いている同期にはいつの間にか劣等感しか感じてこなかった。
だけど、私は劣等感を感じる必要がなくなっていたことに気づけた。
私は私の生き方をしている。
それだけだったんだなぁと。
たとえ大勢が進む道から横道にそれても、生き方が間違っているわけではなかった。
私には早い段階で苦難がやってきて、それを乗り越えるために進みが遅くなったように感じた。本当にそれだけだったんだ。
私の周りの人だって大変な思いはしている。
でも、語る段階でその苦労を消しちゃう人もいるから、いい人生をおくり続けているように見える。
人の影の部分を扱わないように生きているだけだ。
だから私が影を全面に出して、自分ごと消え去ったように感じただけだ。
その影にちょっとずつ光を当てて、自分を見つめることをしてきた。
そうやって堂々といられるようになった自分が、今は嬉しい。
だから、照らしてみたい。
ちょっと自分は違うのではないかと思っている人に。
あなたのその生き方も間違ってないと。
大丈夫だと。
このまま進めと。
声をかけたい。
そしたら堂々と自分の道のりに胸を張れる日がやってくるから。
一人で起業したり、何か新しい試みを始めたりすることは不安になったり、孤独を感じることが多い。
だからこそ、そんな人の支えになる生き方を私はしたいと思っています。
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【自己紹介】
逗子に住むライフコーチ。自由を目指して独立し、フリーでコーチとして活動しています。趣味は日本茶と水引のハンドメイド。逗子と鎌倉の自然の中を散歩すること。言葉とデザインで伝えるお手伝いもはじめました。セッションでヒアリングしながら降りてきたイメージをもとに言葉やデザインを組み上げて行きます。
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