何もしていない私を休ませる
「やることが無いと焦る」
私のやることはなんだろう。
私は何もすることが無い時間を過ごすのが苦手です。
でも今は何もしていない私でも、もっと休めるように過ごしています。
8月のスケジュールはフリーランスになって史上最高にスカスカ。ゆとりがありすぎて、過ごし方がわからなくなったり、こうして思いついてnoteにいつでも書く時間ができていたり、コロナと暑さで引きこもりな夏を私は楽しんでいます。
タイトルには「何もしていない私を休ませる」と書きました。
何もしていない!と焦っていた過去の自分に、それでも休んでもいいんだよ?と今の自分なら言えそうな気がしたから。
これからお盆休みにはいる人、私みたいに何もしていないと罪悪感を感じちゃうあなたに読んでほしいです。
トラウマレベルでやることを探していた時のお話
私は暇になればなるほどに「やること」をずっと探してきました。
「やることがあれば成長できる」
「やることがあれば、『私はちゃんとやっている!』って説明できる」
私にとって大事なのは、ここでした。
「何もしていないことが怖い」
社会人になって、転職したり、休職していたりで空白期間の多かった私は、その間に自分の周りの同級生が活躍しているのを見て、ずっと落ち込んでいました。
みんなはあくせくと仕事にでかけているのに、私は行く場所がない。行ったら行ったで息が詰まる。そう思いながら、近くのスーパーにでかけ、カフェにでかけ時間が過ぎていくのをただただながめていました。
「私はなんのために生きているんだろう」
そう思うと、闇雲にバイト探そうかなと思ったり、何かしなきゃと趣味を探したり、新しい勉強や資格学習をしようとしたり、とにかく「やること」を探し続けていました。やることがあると、人に説明できてそう思うと安心するのです。
私にとって「やることがある」ことは精神安定剤だったのでした。
振り返ると、そんな日々が思い出されます。
このときの私は「やることが無いと死ぬ」位の感覚。何もしなかった日は、後悔の連続で、毎日できることを見つけられずに泣いて過ごして、朝が来ないでほしいと願っていたことを思い出します。
初っ端からだいぶディープな話で始まってしまいましたが、そう言えば4年前、わたしはこんなふうに「やることがない」ことに対する恐怖をもって生きていました。
私がゆったり生きるその意味。
一方で、今の私は「ゆったり生きること」を選んでいます。もちろん未だに、やることがなくて「あれ、大丈夫かな私」って思うことがあるんです。あまりにゲームとかばっかりしていると「なんかしたほうがいいんじゃない?」という言葉が頭をよぎります。カレンダーがスッカスカで不安になっていることもあるし、常になにをやるんだっけとグルグルしているときだってあります。
でも、それでいいんです。私は何かをしたい生き物であると同時に何もしたくない想いも共存した生き物だから。迷いながらも、「やりたいこと」を見つけて熱中したり、本当になにもないからストレッチしたり体を整えたり、お昼寝したり、ぼけーっと過ごしたり、そういう全てを容認して今は生きています。
何もしていないからダメ、っていう想いを持っても、本当の自分の想いは現れないのです。
何もしていないことさえも選択の一つ。だから、私は余裕のある限り私がどんな選択をするのかを感じているだけでいいのです。
これまで色んなnoteで書いてきたとおり、私の今の生活は、「時間にゆとりがあることに価値があるような生き方」です。
頑張ったら、私のクライアントさんも頑張らなくてはいけなくなってしまうのです。「やること」が少なくても、何もしていなくても、豊かに生きることができるし、幸せに生きられるよ、ということを私は自分の生き方を通して伝えなくてはならないのです。
だから、何もしていない私だと焦らずに今日もそのままにしています。
何もしていないからどうしよう、そう思っている時点で、もう合格。それくらい自分の時間の使い方、納得行くものにしたいと思っているんだよね。そう思っているなら、頭は休んでていいよ。その代わり、感覚的に気が向いたらすぐ行動できるようにしようね。
ゆとりを持って生きることで、本当にやりたいことが見つかった時に、ふと起き上がって動ける準備ができているのです。
生きている流れに乗ってナンボ。
ライフの中にある「流れ」の中で私が欲しい物をキャッチするには、流れを見つめることが大切です。
よくスシローに行くので、回転寿司が思い浮かんでしまったのですが、あなたの人生はあなたがどうお皿をとるかと似ていると思います。
最近の回転寿司は音で知らせてくれるからいいけれど、ぼーっとしてると取りたいネタが流れて行っちゃいますよね。
私達は生きている中でそうした流れにずっと直面しているのです。だから、できる限りゆったりして、ちょっと大きい魅力的なネタが来た時にすっと取れるように待ち構えていたい、と私は思っています。
私がもし、何もしていない!良くない!と自分に打ちのめされて落ち込んでいたら、真横に出てきた大きなネタにも喜べず、そのまま見送ってしまうことでしょう。逆に忙しければ、美味しいネタが来た時にはお腹いっぱい。ちょっと後悔しつつも諦めることになります。
時間もお金も豊かに働いている人は、来た皿を慌ててとることはしないのです。本当に納得するものが来たときだけお皿を取ります。だから、高品質で充実感もあって、密度濃い時間を提供できます。
その時、ネタの鮮度も大事です。やってきたその時に実行できないと、どんどん質が下がって食べられなくなってしまいます。だから、いいネタが来た時にすぐに食べれるように備えるのです。
もちろん、お腹が空きすぎている時は、ゆっくり待てるくらいまで、お腹を満たしてから。腹が減っては戦ができないの同様、生きるのにギリギリのお金しか無い時には、まず持続可能な状態に少し調整しておくことが大事です。
何もしていない時期は何もしなくていい時期。だから休む。
何もしていないということは、何もする必要が無いのです。だから休んでもいいのです。休むと言っても、ずっとぐーたらすることには最終的にはならないと思います。ドハマリすることを見つけたり、趣味を見つけたり、結局なんかしら行動しています。
私も休むといいながら、こうしてnoteを書いてるので笑
暇には飽きがくるのです。そしたら、いずれ何か見つかります。でも、そうやって余力が溢れた先に現れる何かは、今までとはちょっと違った大物かもしれません。
あなたが待ちに待ったネタがやってくる時かもしれないから。
【お知らせ】
公式ライン、始めます!
9月から配信スタート!
公式ラインに登録すると、
🌸ここでしか見られない限定配信がみれます
🌸不定期開催のイベント情報(購読者限定の場合もあります)が見れます
🌸ためなおと個別のやり取りが可能です
また購読者限定で、こんなプレゼントをしています。
登録はこちらから→https://lin.ee/vg7vAOPA
リンクにアクセスできない場合は@326jtaloで検索をお願いします。
✅Twitter→https://twitter.com/tamenaocoach
日常の気づきやライフスタイル、をリアルタイムでつぶやきます。
【自己紹介】
逗子に住むライフコーチ。自由を目指して独立し、フリーでコーチとして活動しています。趣味は日本茶と水引のハンドメイド。逗子と鎌倉の自然の中を散歩すること。言葉とデザインで伝えるお手伝いもはじめました。セッションでヒアリングしながら降りてきたイメージをもとに言葉やデザインを組み上げて行きます。