「正しい」ってなんだろう。
こんばんは。暑い暑い。夜になっても暑くって水分補給が欠かせない季節になりました。
今朝は近くの公園でリスがヤマモモを食べている姿を目撃して癒されました。
カリカリカリカリ。。。。
ってリスの食べる音だったのか~とまた一つ学びました。
リスを見て、かわいい~と思うか、活発でカリカリうるさいなぁと思うかはそれぞれの自由だと思っています。
そんなことで、今日は「自分の中にある正しさ」について書いていこうと思います。
「正しい」って何だろう
小さい頃から、「正しい」ことを教わってきた。
その一方で、正しくないものを徹底的に間違いとする考え方も持ってきたのかな、と思います。
これはダメ、あれはダメ。こうしたらよい、ああしたらよい。そう、教わってきました。
そう教わってきたからこそ、これでいいのかな。と止まる。ちょっとでも自分の中の常識と反していると違和感を持ってしまう。
本当はそういう進み方だっていいはずなのに、みんながしてないからこそその道を切り開いてもいいのに、どうしてもそこに決めてしまうのが怖いこと、あると思います。
「正しさ」って何でしょう?こういう考え方をし始めると、正しいものなんてどこにもないと思ってしまう。正しいも間違いもないよ!なんて自己啓発だとよく言いますが、正しいことって本当は自分の中にあるのだと思います。
同時に自分の中でしか成り立たないものでもあると今は解釈しています。法律とか、世の中の制度は全員共通で正しい、間違いがあるけれども、自分の中にしか存在しないローカルルールである正しさが、共通認識であると思われていることも多くあると思います。
これが、「常識」と言われているもの。
私自身、忙しくなるのが怖くて、自分はこれまで、忙しくないほうが幸せと思うようになっていたから、仕事で時間を大幅にとられることに疑問を感じていました。
でも、それって、仕事を「自分にとって、自由を奪うもの」と思っていたからであるし「自由を奪うことはよくない」とも思っていたから。
仕事にはそんな意味付けってなくて、色々削ぎ取ってみると「自分のしていることに対してお金をもらうこと」とか、「自分の行動に対して誰かとやり取りすること」とか、考えていけばいくほど、仕事と自分の行動って境目が無くなってくる。
そうした、私にとっての仕事の定義が自分にブレーキになっていることってよくあるんです。
それはきっと「仕事は我慢してやるもの」とか「仕事は辛い思いをして、汗水たらしてやるもの」といったイメージが浸透しているから。これは、世の中のイメージかもしれないし、私の小さい頃の周りの人がそうだったから持っている印象なのかもしれない。
だから違うと言いたいけれど、どこかでそこに正しさを感じて生きてきたのです。
自分の中で決めてきた定義やルールってそうした生き方が反映されていて、ふとしたタイミングでひょっこりと現れて、自分の意思決定に影響するんだなぁとすごくよくわかりました。
もしかしたら、本当の正しさについて、何となく蓄積されてきた想いに引っ張られる前に、どこかで立ち止まって考えなければならないのかもしれません。
正しいは自己完結
私が思っている正しさについてここでは書いていきます。色々な解釈があるとは思うのですが、私の結論はこうです。
正しいかどうかを決めるのは、本当は自分である。
考えれば考えるほど、一般的な正しい考え方はあくまでも、「誰かの考え」であって、多くの人が、それを「そういうもの」と捉えているから、本当の正しさがそれなのだ、とつい思ってしまうのかもしれない。
でも、正しさは自分の中にしかない。
自分で、自分の意思で、何を正しいと認めるか、それで次の行動も、選択も、人生そのものも変わっていってしまう。
あなたが今正しいと思っていることって、本当は全て正しい。それがあなたの中の正しさです。周りが何といおうとあなたの中で正しいから。
その正しさは、自分の持ち方次第で変わりうる。正しいことはたとえ流動的になってもいいのです。
けれど、これはあなたの中の正しさであって、他者にも通用するルールじゃない。だからこそ、人間って迷うのだと思います。
他人に押し付けられたり、誰かのことは間違っていると思ったり。そうしたところからちょっとずつ、自分と相手の境目を見失って、正しさが正しくなくなっていくように感じます。
誰かの結論は、その誰かにとっては正しく、私の中の正しさは別のところにある。本当はそれだけなんです。
だから、正しいは自己完結なんです。
迷った時、自分の正しさを信じる人に支えられる
私も今も迷っています。昨日は、自分が始めたWeb関係のお仕事と、コーチとの兼ね合いで悩んでいました。
どっちも楽しくて、本当はどっちもやりたい。でも、私自身は一人しかいないから、リソースは限られる。どちらも中途半端にしたくない。
自分はどちらもバリバリできるほどのエネルギーはきっと持ち合わせていないかもしれない。じゃあどちらかにしないといけないのかなと思ったり、色んな事がぐるぐるしています。
極めたいものに徹底的に集中するほうがいいという私の信念のもとでは、どちらかにしないと、とずっと思っていたからです。
そんなことを昨日、コーチに打ち明けてみて、返ってきた返事が。
「これからのことは大丈夫!一緒に考えましょう!」
これほど安心する言葉があるだろうか。
そっか、何か専念できない自分がいけないと、何とかしなきゃと思っている自分がいたんだと思いました。
それをコーチがどう思うだろう?というのも気になっていたことにも気づきました。
そうやって、私はこれで大丈夫なのだろうか?間違っていたらやだなって、それを誰かに指摘されるのも不安で仕方なかった。
だから、色んな人の発信が気になったし、私はこれじゃダメなのかな~とも思いました。
でも、コーチの一言で吹き飛びました。
そっか。私の考えは私の中で正しいんだ。
そう思えて、自分で望むようにやってみよう!という気持ちの変化が起きてきました。
それはきっと、私自身の正しさをコーチがしっかりと理解してくれているから。
そうした、自分の正しさを後押ししてくれるコーチは、自分らしく生きるときのとっても心強い味方になります。
私自身、そうしたコーチと出会えて、実際にどこかにある誰かの正しさではなく、私自身が持っている正しさで生きることを支えてもらっています。
だから、安心して、勇気を出して選んでいくことができている。
一人だったら、自分の意思決定に自信が持てないまま、「これでいいのか?本当にいいのか?」という悩みをどこにも沿えないままに彷徨わせていたかもしれない。
そうした時に、支えられるコーチってすごく必要だなと。何かに悩んだ時、私だけは何としてもあなたの味方でいます。あなたがそう思うなら、その想いを尊重します。なぜならあなたのその想いは正しいから。
そうしてあなたがノックしてきたらその背中を押せるように私も待っています。
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