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天才への期待とちょっとの無力感

「世の中、上には上がいる〜私が見た『大秀才』たち」という記事。ここに登場する一人の天才の名前を耳にしたことをきっかけに読んでみました。

この記事のメッセージは分かりませんが、こんな天才たちがいるなんて……と(秀才・天才なんてたくさんいることを知りつつ)改めて感嘆しました。

単純な私は「これだけ頭が切れるなら、これだけ努力ができる人なら、人生楽しいだろうな〜」みたいな安易な感想を抱きました。

一方で、「この人たちはどれくらい社会にポジティブなインパクトを与えているんだろう……?」という問いも生まれてきました。

これだけ天才がいてもなお、この社会をみるかぎり、理不尽なことで溢れていて、相変わらずすごい勢いで人が殺されたり、自殺したりしている……。

とくに戦争に関しては、「効率的に」多くの人が死ぬような兵器が開発され、戦争という、いかにもみんなが憎みそうな、すぐにでもなくなりそうなものが、なくなることはありません。

アルバート・アインシュタインやジグムント・フロイトレベルの人でも戦争をなくすことはできなかったのです。

『ひとはなぜ戦争をするのか』という文献には、アインシュタインの大切な問いは、「人間を戦争というくびきから解き放つために、いま何ができるのか?」だったと書かれています。

1932年、国際連盟がアインシュタインに依頼した。
「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄について、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。」
選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった——。

フロイトは、その応えとして、文化の発展が人間の心と身体に変化をもたらし、欲望のあり方をも変えてしまうといいます。性的な欲望を小さくすることで人類を消滅に導く可能性があるとまでいうのです。さらに、知性を強め、人間の攻撃本能を内に向ける心のあり方を生み出すことで、戦争の終焉に近づくのではないかと述べています。

おもしろい分析ですが、戦争を止めることはできない——。

天才だからといって世界を変えられるとは限らないのです。

でもやっぱり、天才は世界をポジティブに変えていくために、その才能を発揮してほしい、という希望が私にはあります。

そんな希望を持ちつつ、天才でもできないことがあるのだから、凡人である私も一緒に頑張らないとならないなあ、と思いました(笑)

それに、天才がやっていないけど価値があることもあるから、それを見つけてやっていかないと。


花を買って生活に彩りを…