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徒然なるままにメモ
わたしのみた映画たち
2019年7月14日〜
一回、シンプルに考えてみよう。 目的に照らし合わせたときに、なにが必要なんだろうね。 優先順位が高いことはなんだろうね。 やらなくてもいいことはなんだろうね。 目的はその時どきによって違う。 だけど、究極的には、わたしは自分が幸せで居られること、つまり、好きな人たちと一緒にたのしく過ごして居られることが何よりも大事。 これから歳を重ねていく中で、あたらしく大事なものができるかもしれないし、見えてくるかもしれないけれど、今のところ、それ以外のことは、手段でしかない。
転職に際して、あたらしい環境に入っていくのが苦手で、不安でたまらなかった(それゆえにやりたいと思うことがあっても踏みとどまっていた)子ども時代を思い出した。 だけど、その当時の自分と違うのは、自分のダメなところばかり見て自分を責めるのではなく、あたらしい環境に飛び込もうとしていること自体を讃えて、今まで体験したことなかった気持ちを知ることができたことだけでも価値がある、と自分を鼓舞できるようになったこと。 少し前までは、自分ができていないことを批判的(否定的)にみることで
自己中なひとが嫌いだった。 でも、自分が、どうしようもなく自己中だということを自覚してしまった。 たいして他人に対する興味もなく、他人に対する関心だと思っていたものは、結局は自分の関心ごとだった。 不平等が嫌いだった。 でも、わたしは、みんなに平等にやさしくすることもできない。 他者とのコミュニケーションをより本質的でポジティブなものに、というのがわたしの目指すことだった。 でも、そこには、正論や論理だけではなくて、感情に寄り添うことが必要とされていることを学んだ。そして
恐らくすべての人がそうであるように、私も生きづらさを感じることがそれなりにある。 でも、私は自傷行為をしたことはない。 一方で、精神科医の松本俊彦さんがアンケート調査を行ったところ、「女子中学生の9%、女子高校生の14%に、少なくとも1回以上自分の身体を刃物で切った経験があることが分かった」という。 松本さんの著書『アディクションとしての自傷』を読むと、自傷行為を経験したことのある人は決して少ないとは言えないことが分かる。 彼・彼女らの抱える怒りや悲しみ、痛み、死にた
夜のクラブでゆらゆらと踊る石橋静河が美しかった。踊りって美しいんだなあと思った。 役者さんたちの目線とか表情からいろんな感情が読み取れる。思い返してみても、真剣な表情が思い浮かぶ。 そいえば、不倫してた店長さん、本気だったぽかったなあ。もうあんまり覚えてないけど。 最後にどうでもいい独り言なんだけど、私は最初からかっこつけずに優しく大事にしてくれる人と出逢いたい。 (もはやいつのだか分からないほど昔の下書きを公開しました)
後から振り返ると、あぁ、あの時にこれをやっとけばよかったと絶望的な気持ちになる。 だけど、その時はできなかったのである。 その時はその時でエネルギーが尽きていたのだ。他のことしかできなかったのだ。そうなると、結局は自分のエネルギー値の範囲内でしかできない。 その中で失敗を経験として、徐々に効率よく仕事を進められるようにならなければならない。 一方で今までなぜ反省を生かしきれていなかったのか、と言われれば答える言葉がない。なんでなんだろう。振り返りをしてこなかったからだ
情報に高いアンテナをはり、大量に処理して読み解きまる、そういう能力がすべての仕事において本来的には求められると思う。そうした力がなくてもそこそこに成果出して貢献できる職場があれば教えてほしいです。。 あるにはある、でもやっぱりやりがいとか楽しさを求めるなら上記のことをがんばることが求められる。選ぶのは自分次第。そういうむずかしい世界に生きている。 そんな葛藤しなくてすむ世界があれば教えてください。 でも、きっと楽な道なんてない。何かしら大変な側面があるんだろうなあ。
こういうのみて、「コメント怖い、、」と思う人と、「自業自得だな」と思う人にわかれるんだろうなあ。自制心が強くて、普段から他者に迷惑かけないようにいろんなことを我慢してる人は後者になりがちだろう。 以前ある番組で、薬物依存症の経験者に「薬物って体に悪いもので、法律違反だってわかってるのに手を出すのはなんでなんですか?」みたいな質問をMCの人がしていた。普通ありえなくないですか?みたいなニュアンスで。 私はそのやり取りをみていて、「え、むしろ一回ぐらいならいいやっていう気持ち
自分の存在価値のなさを淡々と痛感することがある。 どう考えても自分がこの世に存在することに特に意味はない。価値はない。だれかにとってなくてはならない存在でもない。 それを痛感するとき、私の場合は、いったんずーんと落ち込むけど、あくまでも「淡々と」事実としてこれを受けとめて流してしまうところがある。この世の人間のいくらかは、こんなにも途方もない無力感を抱きつつ、存在価値がないとわかりつつ生きていかねばならないのかあ、とか考えつつ、「しかしなあ、私は死にたくはない。生きていき
あるマンガに、印象的な台詞があった。 ざっくり要約しちゃうと、 世界には素敵な子がたくさんいて、この先いろんな出会いがある。でも、僕は新しい人に出会うたびに君を選ぶし、君に選ばれ続けるようにがんばる。 といった趣旨のことばだった。 ああ、そうだよなあと思った。 これは、付き合い続けるってそういうことでしょ、という話だったけど、結婚してからも大して変わらないのでは、と思う。結婚は契約だから、一緒に生きていくという決意と、そのための努力が求められるとは思うんだけど。
電車の斜めまえの席に座っていた若い男性3人組は、共通の友人について話をしていた。その友人は(軽はずみで)セックスした女性に妊娠させてしまったようだった。その後、二人は結婚することにしたけど、相手の女性は結果的に流産したという。詳しい内容は忘れてしまったけど、その話をきいた3人組のひとりは、「これ、めっちゃサイテーな考えだけど」と前置きしてこんなことを言った。 「もしノリでやって、間違えて妊娠させちゃったとしても、流産したらある意味ラッキーだよね」 みたいなことを。 わた
わたしの人生でもっとも大切なことは、わたしが幸せであることです。考えてみたら、わたしは有名になりたいわけでもないし、みんなに認められる業績を出したいわけでもないし、多くの人の前で話ができる人になりたいわけでもないんです。そういうことが目的ではない。じゃあ、どうあったら幸せなのかというと、わたしが大好きな人たちがわたしのことを好きでいてくれて、そばにいてくれたら幸せです。もちろん、その人たちにも幸せでいてほしいです。素敵な人たちと一緒にたのしい時間や嬉しいこと、ときには悲しみや
2020年新春一発目の映画は友人に誘われて寅さん映画に。寅さんの甥っ子の満男さんの視点から、過去の思い出を振り返るストーリー。映画というよりは、テレビの「○周年記念スペシャル」のような感じだった。 満男さんの妻は若くして亡くなっているという設定なのだけど、そのお父さまが「自分たちのことは気にしなくていいからいい人がいたら再婚してくれ」と満男さんに伝えるところが印象的だった。ちなみに、満男さんのひとり娘も自分のことは気にせずにいい人がいたら再婚してね、と言う。 わたしの従
昨日の真夜中に、どうしてもみたくて布団の中でみた「君の膵臓をたべたい」。号泣してそのまま寝たので、今日は眠気と涙で目が腫れていただろう……。 終わったとき、頭に浮かんだのは、私が大学生のときにバス事故で亡くなった高校の同級生のことだった。 ある日、母が「●●高校って書いてあるけど知ってる?」と新聞を見せてくれた。そこにはバス事故で亡くなった大学生たちの顔写真があった。その中の1人が私の同級生だった。私はその子と同じクラスになったことはなかったけれど、お洒落でかわいい子だっ
Teach For Ameria代表のウェンディ・コップの著書『いつか、すべての子供たちに』を読んだ。一人の大学生が、アメリカのエリートたちを貧困地域の公立学校に教員として派遣するプログラムをつくっていく過程が赤裸々に描かれていて、映画をみているようだった。 なかでもおもしろかったのが、組織マネジメントや、派遣する先生たちのリクルーティング基準についての話だ。 面接の質問を考える際に、彼らは「問題に立ち向かえる人を選ぶ」ことを目指すとともに、厳しい選抜をしているように見せ
スマホですこーしずつみた、永い言い訳。 幸夫と陽一くんが海辺で遊ぶ子どもたちを眺めながら、こんなやり取りをするシーンがある。 幸夫 「守るべきものがあるっていいな」 陽一 「守るべきものがあるって大変だよ」 自分のことで精一杯なわたしは、もうひとり、自分が守らねばならない脆弱な生命が存在するなんて、とても大変なことだろうと思っていた。だけれども、それこそが生きる糧になることもある。 多くの人は、おとなになるにつれて、もう自分の幸せを追求するのに飽きるのか、諦めるのか、