「幸福の追求」が孕む矛盾
「私は幸せ」って自信満々に言える状態ってどんな感じだろー?と考えていて、なかなか難しい問いだなあと思いました。
「もうちょっと貪欲に自分の幸せを追求する」というのが今年の目標だったのですが、ふと思ったのは、「幸福を追求すると辛くなる気がする……」ということでした。
というのも、例えば、もっと仕事がバリバリできるようになって多くの人の役に立ちたいとか、モテたいとか、褒められたいとか、素敵な人と結婚したいとか、そういった幸せを目指すとドンドン高みを目指すことになって、現実と幸せ状態のギャップが常に存在することになります。
頑張りつづけることが幸せという人もいると思うのですが、私は「疲れるなあ」と思いました。(そう思ってしまう自分が嫌になる気持ちもあります)
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ただ、こんな感じの話を友人にしたところ、幸せを「目指す」という表現が不思議だと言っていました。
「幸せって目指すものなのかな?」と。
私の友人は、「幸せは気づくもの、いや、感じるものなんじゃないかな」と言うのです。
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いまの私にはまだ良くわからないですが、ただ、「幸福を追求することって苦しいのでは」という私の考え方は何かが足りないような気がしているので、探究してみたいと思います。
ちなみに、苫野一徳さんの「『自由』はいかに可能か」という本を読んでいたら、バートランド・ラッセルの『幸福論』に、私の考えていた幸福の追求について書いてあるようでした。
そのあたりの本を読んでみたいなーと思います。
花を買って生活に彩りを…