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私のすきな人たち、自然体な人たち
最近、いままで私が「すきだ」と強く思った人たちの特徴がなんとなく掴めてきた。
人を構成する要素はたくさんあるので、特徴はひとつではないのだけど、その中でも、今まで言語化できていなかったものについて今回は書きたいと思う。
自分の欲にも、他者の欲にも誠実な人
9月22日、23日と立て続けに、友人(尊敬する先生的な存在の人)のファシリテーション講座と、哲学者の國分功一郎さん、精神科医の斎藤環さん、高木俊介さん、東大教授の石原孝二さんによる「ODNJPシンポジウム:オープンダイアローグと中動態の世界」に参加した。
その2つの場で使われていた言葉で私の心に残ったのは、「おのずから」という言葉だ。
ファシリテーション講座では、その場におのずから現れるものに気づくこと(「おのずからを見極めること」)がファシリテーションのキモだと学んだ。
そこで、まずは自分のクセに自覚的になるワークをおこなった。当然人それぞれのクセがあるけれど、講師のファシリテーターは「こうしたほうがいい」とか「こういうクセがあるから直したほうがいい」といったことは言わないと話していた。
その話を聴ききながら、私は恩師的な存在である高校時代の部活のコーチを思い出していた。そのコーチもまた、人のクセを修正することはなかった。
「あいつらしくていいんじゃないか」と笑う人だった。(「こうしたほうが楽になるよ」というアドバイスをしてくれたりはしていたけど)
明らかによくないクセのように思われること(目指していることに対して非合理的だと思われる身体の動きや思考法)であっても指摘すらしないというスタンスは、私には不思議だった。
きちんとフィードバックしてあげたほうがその人のためのなのではないかと思っていたし、いまでもやはりそう思う気持ちがある。
ただ、尊敬する人たちが(今のところ2人だけど)共通して、個々人が持つクセを指摘しなかったことは、私にとって何か意味のありそうな気づきだった。
「おのずから」の話に戻ると、前述のシンポジウムで國分功一郎さんは、“中動態”という概念について説明するときに「おのずから現れる」という言葉を使っていた。
たとえば、i showは能動態だが、i appear / i am shownは中動態だという。
感動も、人を好きになる気持ちも、尊敬する感情も、おのずから現れる、中動態なのだ、と。
私はこうした話を反芻しながら、すきな人たちを思い浮かべて、その共通点を考えていた。
そして、本人が意識的であれ無意識的であれ、「おのずから現れるもの」に敏感であり、それを大切にしている人と言えるのではないか、と思った。
それは自分の欲にも、他者の欲にも誠実な人とも言えると思う。
自分の欲に誠実に行動している人は、他者の言動に自分の感情が大きく左右されることや、自分の価値観を他者に押し付けることがあまりないように思われる。
そして、他者の欲に対して誠実な人は、他者の言いなりになるとか、相手をひたすら持ち上げる人とかでは決してなく、本質的に相手にとって大事なことを考えられる人だと思う。
いまも時々会ってお話をする高校時代の先輩、コーチ、大学時代の尊敬する先輩、後輩、それから社会人になってから出会った素敵な人たち――。その人たちの顔を思い浮かべて、納得感のある共通点だ。
ただ、私のすきな人の中には、自分の欲に常に誠実ではない人もいる。自分の欲望をよく知っていながらも、違うことをしていると語る人もいる。
そういう人は自分自身に対してシニカルな感じなのだが、それはそれで自然体で素敵だなと思う。みんながみんな、そんなうまく生きれるわけではないから。その人なりに自分の欲を大切にしているのだと私は感じている。
というわけで、自分の欲にも、他者の欲にも誠実な人がすきだ、というのが最近の気づきとして書き記しておきたいこと。
とにかく素敵な人がいるので聞いてほしい
ここからは、私が最近とてもすきな人について、その人がどんなにおもしろくて素敵な人なのかということを書きたい。お気に入りのものを他の人に紹介したくなるように、誰かに伝えたいというだけの自己満だ(笑)。
その人は無自覚的に自然体なタイプだと私は思っている。(「無自覚的に」というのは、ファシリテーターやコーチのように、人のあり方について常に意識的な人と比較して、自分自身のあり方についてそこまで自覚的ではないという意味だ。)
自分の好きなものごとがはっきりしていて、自分の愛に素直な人だ。そして、他者にあまり左右されることがなさそう。そんなにストレスがたまることもないらしい。
その人はとてもマイペースだ。自己中とかではなくて、良い意味でマイペースなのだ。だから、変に気を遣う必要もなく、接しやすい。
たぶん、他者への思いやりと自分自身への思いやりのバランスがよいのだと思う。自分自身を蔑むような言葉を使うこともなく、それでいて謙虚なのだ。
ノリが良いタイプというよりは比較的無口で淡々としているので、安心感があって、基本的にいつもおだやかで優しい。
それから、その人は言葉に敏感で、他者を嘲笑するようなこともない。これは特別なことではないと思うかもしれないけど、悲しいことに、私の周りでも全然普通じゃない。だからこそ、その存在は尊い。
というわけで、私からすると天然記念人みたいな感じ(笑)。
こんな人が増えてほしいなーと、ひそかに思っている。
ちなみに、ここまで話してきた特徴があてはまる芸人を発見したので、その記事を最後に載せておきたい。
ヒロシのことはそんなによく知らないし、特段すきというわけではないのだけど、この記事を読んで「私はこんな感じの人を素敵だと思うんだな」と感じた。
好き嫌いを超えてすきな人もいる
最後の最後に、付け加えておきたいのだけど、「すき」と一言で言っても、いろんな「すき」がある。だから、もちろんここに当てはまらないタイプの人でもすきな人はたくさんいる。好き嫌いという感覚を超えてすきな人もいる。それはそれでおもしろい。
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