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「無」に出会って3年。
無になることがどれだけ私生活に影響を及ぼすのか。
座禅を始めて3年くらい。
「無」とか「空」などの文字を見る機会が多くなった。
(座禅の本や、仏教を知るとよく出てくる)
そもそも「無」・・・何もないなんて状況は物理的に考えるとない。
自分は今、ここにいるし、見るもの、聞くのも、触るのも、五感を意識すれば「無」なんてない。
そもそも僕が座禅に出会って向き合った「無」というものはどんなものなのか、振り返ってみようと思う。
僕の頭の中にはガラスのコップがあり、色んなこと(情報、感情、ストレス)が入ってくると、水がどんどん溜まっていく。
それが溢れた瞬間に全てが爆発し、何もしたくなる状況になる。
(叫んだり、暴飲暴食したり、お金使ったり・・・)
しかし、これによってこぼれた水は、さらに下に受け身となるコップにはいっていく。つまり、減ることはないのだ。
この状況で座禅をするときに意識するのが、コップを「空」にすること。
まずは全てのことをなくし、空っぽにすることで次に水を入れるためのスペースを開けるという感じ。
このやり方が本当に合っているかどうかはわからないけど、
本で得た知識などでは正直解決しないと思った。
「無」の本質というものを理解するまではこの修行はまだまだ続くであろう。