紬と下駄の意外な共通点!過去から現在までの変遷に迫る

私が着付習い間もなくの頃、教室がきものの展示会開いた。
展示会と言ってるが、実は販促会であった。
この日に来てくれたのは、結城紬の生産者だった。
そして、作り手の方の話に衝撃を受けた。

「紬でね、昔は貧乏人の服だよ。繭にはならないくず玉を集め、糸を紡いで、昔農家の女性みんな裁縫ができるから、そのくず玉で自分や家族の服を作ったのよ」
今は反物一反で家を買えるほどの高価なのに、なんと昔は貧乏農家の服?
このギャップはあまりにも大きいくてショックした。
 
紬だけではなく、履物の下駄にも似てる話があった。
下駄と聴いたら、浴衣姿で下駄を履き、夏の花火大会へ行くイメージが浮かび上がったと思う。
下駄って日本のものとういう印象がある、もしくは日本伝来のものだと思われる。
実は台湾ではオリジナルの下駄があった。
今から三百年ほど前、清の時代に台湾人が「柴屐」(ジャイキー、柴は台湾語「薪」の意味)とういう木で作った歯と台が一体になり、鼻緒がなく、帯状の布やキャンパスで一文字のようをし台に覆い、今のスリッパに似てるもの、日本の下駄とな全く別物だった。
 
下駄は最初下働きの女性と使用人が履いたものだが、文献により、柴屐は持ってるだけ自慢できるの贅沢品、一般人はお正月に柴屐を買ったけど履くことに惜しむとういう記載があった。
 
なんか話の筋が合わなかった。
 
おそらく柴屐は最初身分低い使用人たちの履物だけど、日本が台湾に支配し始め、日本人が下駄履くことで身分高い象徴に変わってしまい、柴屐の地位もともに変わったかもしれない。
 
昔は貧乏人の装いで今は洒落着として人気を博してる紬と同じ、柴屐も日本人が愛用のため、使用人たちの安物からお金持ちの象徴物に変身した。
 
流行って、分からないもんだよね。

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