マッチングアプリ日記ep.7 2階スタンド席から聴くCreepy Nuts
「Creepy Nutsって、マジですごいんすよ」
洒落た中華バルのカウンター席に並び、桂花陳酒で乾杯をした後、本日初めましての歳下の男が力を込めてそう言った。
「へえ…」
私は警戒しながら頷く。Creepy Nutsのことは知らないに等しい。
「韻の踏み方がすごくて。唯一無二っていうか、センスがあるんすよ。『皆のユートピア』と何を韻踏んだと思う?」
「うーん。なんだろ…」
「『ミラノ風ドリア』ですよ!もう、こうくるか!って感じだよ」
山椒の効いたかなり美味い麻婆豆腐に箸も付けず、彼は嬉々として言った。私はその勢いに圧倒されながら、「おお〜…!」と感心した。
その彼とは後日2回会って、告白されて付き合って、3ヶ月記念の日(たまたま私の誕生日近くだったのだが)、彼は祝うと前々から言ってくれていたのに、当日まさかの音信不通になった!!
当日、駅前の時計下で、約束の時間を1時間すぎても音沙汰のない未読無視のLINE画面を見ながら、私は妙に冷静に、「こうくるか!」と思った。傷はまだ浅かったとはいえ、それなりに落ち込みながら彼の名前を左にスワイプし、ブロックした。
それから1日が経ち、1週間が経ち、1ヶ月が経ち、私はもうアプリで付き合い別れることが初めてでもないので、彼のことを思い出すこともなくなっていた。そんな頃、私はたまたま友人の取ったチケットにつきあって、Creepy NutsのLIVEに来ることになった。彼女のマイブームがCreepy Nutsであることは、たまに流れてくる彼女のツイートで察していた。そして私は彼氏(もう元彼か)の影響でCreepy Nutsを聴くようになっていたから、たまに彼女のツイートにいいねをしていて、今回のLIVEに誘われたというわけだ。へんな連鎖だ。
このZepp会場は、コロナ前、特に大学時代は、一人でも暇な時に立ち見をしていた馴染みのあるハコだった。本当に好きだったアーティストのLIVEがあるとなれば、直前でもチケットを取って、授業の後にひとりで通っていた。血とか肉みたいに自分の一部となった曲を生で聴くと、何度も聴いている曲なのに、なんて良い音なんだと身体を震わせたり、あまりに心打たれて泣いたりした。
だが就職してこの地を離れて、コロナ禍にもなってめっきりライブから離れた私は、この場所に来るのも実に4年ぶりだった。私は二階スタンディング席の端で、ネオンライトの煌めきと片手を上げて飛び跳ねる躍動を視界に映していた。ここからの景色は少し新鮮でしんみりとした。カップルで来ているファンも多く、私は、1ヶ月経ってもう忘れかけた彼のことを、意識的に思い出していた。
好きなものに対して一途で熱量が強くて、敬語でなくなるくらいに必死にたくさん語ってくれるところ、面白かったな。好きなものも惹かれるものも違ったから私の反応が芳しくなくても、諦めずにたくさん伝えてくれていたこと、ありがたかったな。私がだんだんと仕事を優先してあまり会わなくなって、冷めた温度感の中だったのに「誕生日祝わせてください」と追いLINEをくれたの、うれしかったな。
そして、その誕生日に完璧にバックれるの、最高にHIPHOPだったな!
最初は怒りの感情もあったが、もうここまでくるとだんだん面白くなって、周囲の波に合わせて音楽に乗る私は、完全にCreepy Nutsのファンだった。という言い方は変だが、この3ヶ月間、たくさん聴いたアルバムだったから、いつの間にか最近の私を形作っていたらしい。Creepy Nutsのオールナイト日本まで聴いているから、生のMCも楽しめた。
MCで、Creepy Nutsのラッパー・R指定は、今回の「アンサンブル・プレイ」というアルバムは自身の体験ではなく、さまざまな人の物語にフォーカスをしているということを話した。ラップというのは自分自身の言葉で自分自身のことを歌うから、今回のアルバムは新鮮な試みだったそうだ。私はこのアルバムを聴くとき、「私のことを歌っている…!」と共感することはほとんど無かった。こういう人もいて、こういう物語もあるんだ、というふうに音楽を味わう視点は、このZeppの2階スタンド席の片隅からホールを眺めることに似ている、と思った。そして、「これは自分のための曲だ」とすら感じながら、あの位置、1階スタンド席の熱気の中で心を震わせていたかつての私のことを思い出した。彼はきっとあそこにいた。私はこの世界の中心にはいない、でも私だってこの音楽のことが知りたくて、楽しんでいたんだけどな。
「えっ、なんで『よふかしのうた』で泣いてんの?」
友人が可笑しそうに笑うので、「いや、韻の踏み方がすごくて」と咄嗟に言った。それが可笑しくて、私も笑えてきた。